・・・其ノ西南ヲ匝ル。満湖悉ク芙蓉ニシテ々タル楊柳ハ緑ヲ罩ム。雲山烟水実ニ双美ノ地ヲ占メ、雪花風月、優ニ四時ノ勝ヲ鍾ム。是ヲ東京上野公園トナス。其ノ勝景ハ既ニ多ク得ル事難シ。況ヤ此ノ盛都紅塵ノ中ニ在ツテ此ノ秀霊ノ境ヲ具フ。所謂錦上更ニ花ヲ加ル者、・・・ 永井荷風 「上野」
・・・片側は人の歩むだけの小径を残して、農家の生垣が柾木や槙、また木槿や南天燭の茂りをつらねている。夏冬ともに人の声よりも小鳥の囀る声が耳立つかと思われる。 生垣の間に荷車の通れる道がある。 道の片側は土地が高くなっていて、石段をひかえた・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・茂った竹藪や木立の蔭なぞに古びた小家の続く場末の町の小径を歩いて行く時、自分はふいと半ば枯れかかった杉垣の間から、少しばかり草花を植えた小庭の竹竿に、女の浴衣が一枚干し忘れられたように下っているのを目にした。 下町でも特別の土地へ行かね・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・コールタを流したような真黒な溝の水に沿い、外囲いの間の小径に進入ると、さすがに若葉の下陰青々として苔の色も鮮かに、漂いくる野薔薇の花の香に虻のむらがり鳴く声が耳立って聞える。小径の片側には園内の地を借りて二階建の俗悪な料理屋がある。その生垣・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・金を獲るには僕の身としては書くのが一番の捷径であろう。恥も糞もあるものかと思いさだめて、一気呵成に事件の顛末を、まずここまで書いて見たから、一寸一服、筆休めに字数と紙数とをかぞえよう。 そもそも僕が始て都下にカッフェーというもののある事・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・けれども一線一画の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、とっさに弁ずる手際がないために、やむをえず省略の捷径を棄てて、几帳面な塗抹主義を根気に実行したとすれば、拙の一字はどうしても免れがたい。 子規は人間として、また文学者として、最・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・へと参らざるべからざる不運に際会せり、監督兼教師は○○氏なり、悄然たる余を従えて自転車屋へと飛び込みたる彼はまず女乗の手頃なる奴を撰んでこれがよかろうと云う、その理由いかにと尋ぬるに初学入門の捷径はこれに限るよと降参人と見てとっていやに軽蔑・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・道は軌道に沿いながら、林の中の不規則な小径を通った。所々に秋草の花が咲き、赫土の肌が光り、伐られた樹木が横たわっていた。私は空に浮んだ雲を見ながら、この地方の山中に伝説している、古い口碑のことを考えていた。概して文化の程度が低く、原始民族の・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・蕪村が書ける春泥集の序の中に曰く、彼も知らず、我も知らず、自然に化して俗を離るるの捷径ありや、こたえて曰く、詩を語るべし、子もとより詩を能くす、他に求むべからず、波疑って敢えて問う、それ詩と俳諧といささかその致を異にす、さるを俳諧を・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 列車は、婆さんが鼠色のコートにくるまって不機嫌で愚かな何かの怪のように更に遠く辿って行くだろう疎林の小径を右に見て走った。〔一九二七年十二月〕 宮本百合子 「一隅」
出典:青空文庫