・・・――当のない憧憬や、恐ろしく感傷的な愛に動かされたりする。そうかと思うと、急に熱心に生垣の隙間から隣を覗き、障子の白い紙に華やかな紅の色を照り栄えながら、奥さんらしい人が縫物をしているのを眺める。ここの隣りに、そんなうちがあるのが不思議に感・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・朝夕の霜で末枯れはじめたいら草の小径をのぼってゆくと、茶色の石を脚の高さ二米ばかりの巨大な横長テーブルのような形に支えた建造物がある。近づいてこの厚い覆いを見れば、これはそれなりに記念碑であり又墓でもあった。石の屋根の下にいら草の繁みをわけ・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
第一、相手の性行を単時間に、而して何等かの先入的憧憬又は羞恥を持った人が、平生に観察し得るだけの素養と直覚とを持ているか如何か、ということが大きな根本的な問題と存じます。第二、若し其れだけの心の力がある人なら、相手の表情・・・ 宮本百合子 「結婚相手の性行を知る最善の方法」
・・・これは、日本の知性の歴史にとって忘られない明るさ、つよい憧憬、わが心はこの地球を抱く思いをさせたのであったが、その胸のふくらみにくらべて脚はよわく、かつ光栄ある頭蓋骨をのせるべき頸っ骨も案外によわかった。日本のいく久しい封建社会の歴史にもた・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・そして、生命という意味の象形文字は、自分たちの顔にあったと同じようなきれの長い真中に瞳の据った一つの眼にきめていた。 ギリシア人たちが、生命は動く元素から成るといい、デモクリトスが原子論をとなえたのはひろく知られているが、その時から千三・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・自分の心は、此二十四歳の女の心は知らない憧憬に満ち、息つき、きれぎれとなりしきりに何処へか、飛ぼうとする。一つ処に落付かずああ 木の芽。 陽の光。苦しい迄に 胸はふくれて来る。 *心が響に・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ 道路と庭との境は、低い常盤木の生垣とし、芝生の、こんもり樹木の繁った小径を、やや奥に引込んだ住居まで歩けたら、どんなに心持がよいでしょう。 余り市中から遠くない半郊外で、相当に展望もあり、本でも読める樹蔭があると同時に、小さい野菜・・・ 宮本百合子 「書斎を中心にした家」
・・・その急な小径の崖も赭土で、ここは笹ばかりが茂っていた。穴蔵の中に下りてゆくように夏その坂道は涼しかった。そして、冬は、その坂をのぼり切って明るい高台道の日向に出たとき、急にはっきり陽のぬくみを顔に感じた。 私たち子供達が田端の汽車見物を・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・私はやっと、御堂内では一切穿物を許さないということだけを知り得、荒れた南欧風の小径を再び下った。御堂の内部は比較的狭く、何といおうか、憂鬱と、素朴な宗教的情熱とでもいうようなものに充ちている。正面に祭壇、右手の迫持の下に、聖母まりあの像があ・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・――都会人の観賞し易い傾向の勝景――憎まれ口を云えば、幾らか新派劇的趣味を帯びた美観だ。小太郎ケ淵附近の楓の新緑を透かし輝いていた日光の澄明さ。 然し、塩原は人を飽きさす点で異常に成功している。どんな一寸した風変りな河原の石にも、箒川に・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
出典:青空文庫