・・・彼は征服した敵地に乗り込んだ、無興味な一人の将校のような気持ちを感じた。それに引きかえて、父は一心不乱だった。監督に対してあらゆる質問を発しながら、帳簿の不備を詰って、自分で紙を取りあげて計算しなおしたりした。監督が算盤を取りあげて計算をし・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ どういう積りで運命がそんな小康を私たちに与えたのかそれは分らない。然し彼はどんな事があっても仕遂ぐべき事を仕遂げずにはおかなかった。その年が暮れに迫った頃お前達の母上は仮初の風邪からぐんぐん悪い方へ向いて行った。そしてお前たちの中の一・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・今年の春、私は若い将校が長い剣を釣って、若い女性と肩を並べながら、ひどく気取った歩き方で大阪の焼跡を歩いているのを目撃した時、若さというものはいやらしいもんだと思った。何故男は若い女性と歩く時、あんなに澄ましこんだ顔をしなければならぬのだろ・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ 一本の足を一寸動かすだけでも、一日の配給量の半分のカロリーが消耗されるくらいの努力が要り、便所へも行けず、窓以外には出入口はないのも同然であった。 その位混むと、乗客は次第に人間らしい感覚を失って、自然動物的な感覚になって、浅まし・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・そして手を洗ってから昇降機で一階まで降りると、いつの間に降りていたのか、マダムは一階の昇降機の入口に立って済ました顔でこちらを睨んでいた。そして並んで四ツ橋を渡り、文楽座の表まで来ると、それまでむっと黙っていた彼女は、疳高い早口の声で、・・・ 織田作之助 「世相」
・・・葬式の通知も郷里の伯母、叔父、弟の細君の実家、私の妻の実家、これだけへ来る十八日正二時弘前市の菩提寺で簡単な焼香式を営む旨を書き送った。 十七日午後一時上野発の本線廻りの急行で、私と弟だけで送って行くことになった。姉夫婦は義兄の知合いの・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・一人の将校が軍刀の柄に手をかけて、白樺の下をぐる/\歩いていた。口元の引きしまった、眼が怒っている若い男だ。兵卒達の顔には何かを期待する色が現れていた。将校は、穴や白樺や、兵卒の幾分輝かしい顔色を意識しつゝ、なお、それ等から離れて、ほかの形・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 彼は、若し将校か、或は知らない者であった場合には、何もかも投げすてて逃げ出そうと瞬間に心かまえたくらいだった。「また、やって来たな。」武石は笑った。「君かい。おどかすなよ。」 松木は、暫らく胸がどきどきするのが止まらなかっ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・それに戦争は、体力と精神力とを急行列車のように消耗させる。 胸が悪い木村は、咳をし、息を切らしながら、銃を引きずってあとからついて来た。 表面だけ固っている雪が、人の重みでくずれ、靴がずしずしめりこんだ。足をかわすたびに、雪に靴を取・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・みんな将校が占領するんだ。――俺達はその悪い役目さ。」 吉原は暖炉のそばでほざいていた。 飼主が――それはシベリア土着の百姓だった――徴発されて行く家畜を見て、胸をかき切らぬばかりに苦るしむ有様を、彼はしばしば目撃していた。彼は百姓・・・ 黒島伝治 「橇」
出典:青空文庫