・・・例えば今一本のペンを床上に落とせば地球の運動ひいては全太陽系全宇宙に影響するはずである。一本のマッチをすればその光は全宇宙に瀰漫してその光圧は天体の運動に幾分の変化を生じなければならぬはずである。少なくも吾人の科学に信拠すればそうなるはずで・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・ 三五八頁には右の手を清浄な事に使い、左の手を汚れに使う種族の事がある。 これもある意味では世界中の文明人が今現にやっている習俗と同じ事である。 三五九頁にはこんな事がある。 債務者が負債を払わないで色々な口実を設けて始末の・・・ 寺田寅彦 「マルコポロから」
・・・この中には種々多様の悪疫の症状が混合してしるされているそうである。この一節はいわゆる空気伝染をなす病気の実例として付け加えられたものであろう。 この疫病の記述によってルクレチウスの De Rerum Natura は終わっている。これは・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・ 病気といっても四十度も熱があったり、あるいはからだのどこかに堪え難い痛みがあったりするような場合はさすがにそんな余裕はないが、病気の自覚症状がそれほど強烈でなくて、起き上がってすわって診察してもらうくらいの時にこの不思議な現象が起こる・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・き寝衣姿の女が、懐紙を口に銜て、例の艶かしい立膝ながらに手水鉢の柄杓から水を汲んで手先を洗っていると、その傍に置いた寝屋の雪洞の光は、この流派の常として極端に陰影の度を誇張した区劃の中に夜の小雨のいと蕭条に海棠の花弁を散す小庭の風情を見せて・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・栗本鋤雲が、門巷蕭条夜色悲 〔門巷は蕭条として夜色悲しく声在月前枝 の声は月前の枝に在り誰憐孤帳寒檠下 誰か憐まん孤帳の寒檠の下に白髪遺臣読楚辞 白髪の遺臣の楚辞を読めるを〕といった絶句の如きは今なお牢記し・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・二つのものが純一無雑の清浄界にぴたりと合うたとき――以太利亜の空は自から明けて、以太利亜の日は自から出る。 女は又歌う。「帆を張れば、舟も行くめり、帆柱に、何を掲げて……」「赤だっ」とウィリアムは盾の中に向って叫ぶ。「白い帆が山影を・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・は、その惑溺の最中に書いた抒情詩の集編であり、したがつてあのショーペンハウエル化した小乗仏教の臭気や、性慾の悩みを訴へる厭世哲学のエロチシズムやが、集中の詩篇に芬々として居るほどである。しかし僕は、それよりも尚多くのものをニイチェから学んだ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・世間に言う姦婦とは多くは斯る醜界に出入し他の醜風に揉れたる者にして、其姦固より賤しむ可しと雖も、之を養成したる由来は家風に在りと言わざるを得ず。清浄無垢の家に生れて清浄無垢の父母に育てられ、長じて清浄無垢の男子と婚姻したる婦人に、不品行を犯・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・彼の心や無垢清浄、彼の歌や玲瓏透徹。 貧、かくのごとし、高、かくのごとし。一たびこれに接して畏敬の念を生じたる春岳はこれを聘せんとして侍臣をして命を伝えしめしも曙覧は辞して応ぜざりき。文を売りて米の乏しきを歎き、意外の報酬を得て思わず打・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫