・・・貴下は御自分の貧寒の事や、吝嗇の事や、さもしい夫婦喧嘩、下品な御病気、それから容貌のずいぶん醜い事や、身なりの汚い事、蛸の脚なんかを齧って焼酎を飲んで、あばれて、地べたに寝る事、借金だらけ、その他たくさん不名誉な、きたならしい事ばかり、少し・・・ 太宰治 「恥」
・・・「目にはおぼろ、耳にもさだかならず、掌中に掬すれども、いつとはなしに指股のあひだよりこぼれ失せる様の、誰にも知られぬ秘めに秘めたる、むなしきもの。わざと三円の借銭をかへさざる。ましろき女の裸身よこたはりたる。わが面貌のたぐひなく、惜しくりり・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・一例を挙ぐれば、学者は掌中の球を机上に落す時これが垂直に落下すべしと予言す。しかるに偶然窓より強き風が吹き込みて球が横に外れたりとせよ。俗人の眼より見ればこの予言は外れたりと云う外なかるべし。しかし学者は初め不言裡に「かくのごとき風なき時は・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・一例を挙げると、庭へ一面に柿の葉を並べておいて、その上に焼酎に浸した米粒をのせておく。雀が来てそれを食うと間もなく酔を発して好い気持になり、やがてその柿の葉を有合わせの蒲団にしてぐっすり寝込んでしまう。秋の日がかんかん照りつけるので柿の葉が・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・ 掌中のペンに働く力は種々ある。第一に重要なものは地球の全質量がこれに及ぼす重力である。すなわち普通にいわゆるペンの目方である。精しく云えばこの中には身辺にある可動性の器物や人間や一切のものの引力も加わっていてこれらが動けばそれだけの影・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・簡単に言えば、将来ここで想像した作曲者あるいは映画監督のようなリーダーがあちらこちらに現われて、そうしてその掌中の材料を自由に駆使して立派なまとまった楽曲的映画的な連句を作り上げるという制作過程が実行されたならばおもしろいであろうということ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 路地にひらいた三尺縁で、長野と深水が焼酎をのんでいた。長野は、赤い組長マークのついた菜葉服の上被を、そばの朝顔のからんだ垣にひっかけて、靴ばきのままだが、この家の主人である深水は、あたらしいゆあがりをきて、あぐらをかいている。「そ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・或は高き処から落ちて気絶したる者あらば酒か焼酎を呑ませ、又切疵ならば取敢えず消毒綿を以て縛り置く位にして、其外に余計の工夫は無用なり。或人が剃刀の疵に袂草を着けて血を止めたるは好けれども、其袂草の毒に感じて大患に罹りたることあり。畢竟無学の・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ ――モスクワへ行ったばかりの時分は、よくウォツカの瓶握ってひょろついてる奴を見たもんだ。焼酎みたいなものなんだから、迚もまわるんだ。道ばたへ、襤褸みたいにぶっ倒れてるのも見た。革命前までロシアの労働者の飲みようと来たら底なしで、寒ぢゅ・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
・・・それは権力と金力との大半はすでにそれらの人々の掌中においてわがものでなくなっているという事実である。しかも一層華美な、或いは知的めいた擬態をもって、権力と金力とはそれらの人々を通じて、威力をふるいつつある、という正常でない客観的事情について・・・ 宮本百合子 「日本の青春」
出典:青空文庫