・・・我々があの人は肉刺の持ちようも知らないとか、小刀の持ちようも心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければあっちこっちの真似をさせて主客の位地を易えるのは容易の事・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・それからその御寺の傍に小刀や庖丁を売る店があって記念のためちょっとした刃物をそこで求めたようにも覚えています。それから海岸へ行ったら大きな料理店があったようにも記憶しています。その料理店の名はたしか一力とか云いました。すべてがぼんやりして思・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・ 我々は自ら相応に鑑賞力のある文士と自任して、常住他の作物に対して、自己の正当と信ずる評価を公けにして憚らないのみか、芸術上において相互発展進歩の余地はこれより外にないとまで考えている。けれども我々の批判はあくまでも我々一家の批判である・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・余自身の歴史が天然自然に何の苦もなく今日まで発展して来たと同様に、明治の歴史もまた尋常正当に四十何年を重ねて今日まで進んで来たとしか思われない。自分が世間から受ける待遇や、一般から蒙る評価には、案外な点もあるいはあるといわれるかも知れないが・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・終りに宗祖その人の人格について見ても、かの日蓮上人が意気冲天、他宗を罵倒し、北条氏を目して、小島の主らが云々と壮語せしに比べて、吉水一門の奇禍に連り北国の隅に流されながら、もし我配所に赴かずんば何によりてか辺鄙の群類を化せんといって、法を見・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・ 神皇正統記が大日本者神国なり、異朝には其たぐいなしという我国の国体には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が万世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云うことは、単に直線的と云うことではなく、永遠の今として、何処まで・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・きらきらと光る小刀を持っていたのである。裸刃で。「手を引っ込めぬと、命が無いぞ。そこで今云ったとおり、おれが盗んでいるのだ。おぬし手なんぞを出して、どうしようと云うのだ。馬鹿奴。取って売るつもりか。売るにしても誰に売る。この宝は持っていて、・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・子相接するにも賓客の如く、曾て行儀を乱りたることなく、一見甚だ美なるに似たれども、気の毒なるは主人公の身持不行儀にして婬行を恣にし、内に妾を飼い外に賤業婦を弄ぶのみか、此男は某地方出身の者にて、郷里に正当の妻を遺し、東京に来りて更らに第二の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・むしろ正当のように思ってる。如何に無教育の下等社会だって…………しかし貧民の身になって考て見るとこの窃盗罪の内に多少の正理が包まれて居ない事もない。墓場の鴉の腸を肥すほどの物があるなら墓場の近辺の貧民を賑わしてやるが善いじャないか。貧民いか・・・ 正岡子規 「墓」
・・・投者の球正当の位置に来れりと思惟する時は(すなわち球は本基の上を通過しかつ高さ肩より高からず膝打者必ずこれを撃たざるべからず。棒球に触れて球は直角内に落ちたる時(これを正球打者は棒を捨てて第一基に向い一直線に走る。この時打者は走者となる。打・・・ 正岡子規 「ベースボール」
出典:青空文庫