・・・坪内逍遥や高田半峰の文学論を読んでも、議論としては感服するが小説その物を重く見る気にはなれなかった。 私が初めて甚深の感動を与えられ、小説に対して敬虔な信念を持つようになったのはドストエフスキーの『罪と罰』であった。この『罪と罰』を読ん・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・とあれば、天国とは人の心の福なる状態であると云う、人類の審判に関わるイエスの大説教(馬太伝二十四章・馬可は是猶太思想の遺物なりと称して、之を以てイエスの熱心を賞揚すると同時に彼の思想の未だ猶太思想の旧套を脱卻する能わざりしを憐む、彼等は神の・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・伊助の神経ではそんな世話は思いも寄らず、椙も尿の世話ときいては逃げるし、奉公人もいやな顔を見せたので、自然気にいらぬ登勢に抱かれねばお定は小用も催せなかった。 登勢はいやな顔一つ見せなかったから、痒いところへ届かせるその手の左利きをお定・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 弟達が来ますと、二人に両方の手を握らせて、暫くは如何にも安心したかの様子でしたが、末弟は試験の結果が気になって落ちつかず、次弟は商用が忙しくて何れも程なく帰ってしまいました。 二十日の暮れて間もない時分、カツカツとあわただしい下駄・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・せた手紙の中に「この間も一人夕方に萱原を歩みて考え申候、この野の中に縦横に通ぜる十数の径の上を何百年の昔よりこのかた朝の露さやけしといいては出で夕の雲花やかなりといいてはあこがれ何百人のあわれ知る人や逍遥しつらん相悪む人は相避けて異なる道を・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・上陸して逍遥したきは山々なれど雨に妨げられて舟を出でず。やがてまた吹き来し強き順風に乗じて船此地を発し、暮るる頃函館に着き、直ちに上陸してこの港のキトに宿りぬ。建築半ばなれども室広く器物清くして待遇あしからず、いと心地よし。 二十九日、・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・アグリパイナは、ネロの手をひいて孤島の渚を逍遥し、水平線のかなたを指さし、ドミチウスや、ロオマは、きっと、あの辺だよ。早く、ロオマへ帰りたいね、ロオマは、この世で一ばん美しい都だよ、そう教えて、涙にむせた。ネロは無心に波とたわむれていた。・・・ 太宰治 「古典風」
・・・つるの亭主は、甲州の甲斐絹問屋の番頭で、いちど妻に死なれ、子供もなかったし、そのまま、かなりのとしまで独身でいて、年に一度ずつ、私のふるさとのほうへ商用で出張して来て、そのうちに、世話する人があって、つるを娶った。そのような事実も、そのとき・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・いずれが誘うともなく二人ならんで廟の廊下から出て月下の湖畔を逍遥しながら、「父母在せば遠く遊ばず、遊ぶに必ず方有り、というからねえ。」魚容は、もっともらしい顔をして、れいの如くその学徳の片鱗を示した。「何をおっしゃるの。あなたには、お父・・・ 太宰治 「竹青」
・・・入口の風鈴の音わすれ難く、小用はたしながら、窓外の縁日、カアバイド燈のまわりの浴衣着たる人の群ながめて、ああ、みんな生きている、と思って涙が出て、けれども、「泣かされました」など、つまらぬことだ、市民は、その生活の最頂点の感激を表現するのに・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
出典:青空文庫