・・・という話は、まだ書肆の手にわたしはせぬが、多分新小説に出ることになるだろう。 子供はこの話には満足しなかった。大人の読者はおそらくは一層満足しないだろう。子供には、話したあとでいろいろのことを問われて、私はまたやむことを得ずに、いろいろ・・・ 森鴎外 「寒山拾得縁起」
・・・その婿が山王町の書肆伊三郎である。そして香以は晩年をこの夫婦の家に送った。 伊三郎の女を儔と云った。儔は芥川氏に適いた。龍之介さんは儔の生んだ子である。龍之介さんの著した小説集「羅生門」中に「孤独地獄」の一篇がある。その材料は龍之介さん・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・就中私の手許から贈遺した本には、正誤表の出来た後、それを添えなかったことはない。書肆富山房も誠意がないではなかったが、買った本は誰が買ったか分からぬので、正誤表の送りようがないと云うことであった。帝国劇場で第一部の興行のあった時、第一部の正・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・あの本を発行している書肆富山房は初第一部を千五百部印刷して神田の大火に逢った。その時千部は焼けて五百部残った。幸な事にはまだ紙型が築地の活版所から受け取って無かったので、これは災を免れた。そのうちに第一部の正誤が出来たので、一面紙型を象嵌で・・・ 森鴎外 「訳本ファウストについて」
・・・たちを訪ねていられるし、また井上、元良両先生の方でも、田中喜一、得能、紀平などの諸氏とともに、学士会で西田先生のために会合を催していられる。田中、得能、紀平などの諸氏は、当時東京大学の哲学の講師の候補者であったらしい。西田先生はその八月の末・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
日本文化協会の催しで文楽座の人形使いの名人吉田文五郎、桐竹紋十郎諸氏を招いて人形芝居についての講演、実演などがあった。竹本小春太夫、三味線鶴沢重造諸氏も参加した。人形芝居のことをあまり知らない我々にとってはたいへんありがたい催しであっ・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫