・・・ 本間さんは、一週間ばかり前から春期休暇を利用して、維新前後の史料を研究かたがた、独りで京都へ遊びに来た。が、来て見ると、調べたい事もふえて来れば、行って見たい所もいろいろある。そこで何かと忙しい思をしている中に、いつか休暇も残少なにな・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・当時の私の思量に、異常な何ものかを期待する、準備的な心もちがありはしないかと云う懸念は、寛永御前仕合の講談を聞いたと云うこの一事でも一掃されは致しますまいか。 私は、仲入りに廊下へ出ると、すぐに妻を一人残して、小用を足しに参りました。申・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ 一体わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷巫女の口を借りたる死霊の物語 ――盗人は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利けない。体も杉の根に縛られている。が、おれはその間に・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・燃材の始末、飼料品の片づけ、為すべき仕事は無際限にあった。 人間に対する用意は、まず畳を上げて、襖障子諸財一切の始末を、先年大水の標準によって、処理し終った。並の席より尺余床を高くして置いた一室と離屋の茶室の一間とに、家族十人の者は二分・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ひじょうに、有益な研究資料となるのです。私が、多年探していたものが手に入って、うれしいのです。」 そして、博士は、なにかお礼をしたいといいました。 信吉は、けっして、お礼などのことを考えていませんでした。「いいえ、お礼などいりま・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・に平気を装って、内に入ってその晩は、事なく寝たが、就中胆を冷したというのは、或夏の夜のこと、夫婦が寝ぞべりながら、二人して茶の間で、都新聞の三面小説を読んでいると、その小説の挿絵が、呀という間に、例の死霊が善光寺に詣る絵と変って、その途端、・・・ 小山内薫 「因果」
・・・女性の特徴たる乳房その他の痕跡歴然たり、教育の参考資料だという口上に惹きつけられ、歪んだ顔で見た。ひそかに抱いていた性的なものへの嫌悪に逆に作用された捨鉢な好奇心からだった。自虐めいたいやな気持で楽天地から出てきたとたん、思いがけなくぱった・・・ 織田作之助 「雨」
・・・後なるものは前なるものの欠陥を補い、また人間の社会生活の変革や、一般科学の進歩等の影響に刺激され、また資料を提供されて豊富となって来ている。しかし後期のものがすべての点において前期のものにまさっているとはいえない。ある時代には人性のある点は・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・新潟では米を家畜の飼料にしたというが、勿体ない話だが、新潟の農民が自分の田で作った米と、私の地方の農民が、金を出して買った外米とは同一に談じられないのである。船長の細君でゝもない限り、なんとかして外米をうまく食べようという技巧がそこで工夫さ・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・生霊、死霊、のろい、陰陽師の術、巫覡の言、方位、祈祷、物の怪、転生、邪魅、因果、怪異、動物の超常力、何でも彼でも低頭してこれを信じ、これを畏れ、あるいはこれに頼り、あるいはこれを利用していたのである。源氏以外の文学及びまた更に下っての今昔、・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫