・・・モラル・バックボーンという何でもない英語を翻訳すると、徳義的脊髄という新奇でかつ趣のある字面が出来る。余の行為がこの有用な新熟語に価するかどうかは、先生の見識に任せて置くつもりである。(余自身はそれほど新らしい脊髄がなくても、不便宜なしに誰・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・心騒しく眼恐しく云々、如何にも上流の人間にあるまじき事にして、必ずしも女の道に違うのみならず、男の道にも背くものなり。心気粗暴、眼光恐ろしく、動もすれば人に向て怒を発し、言語粗野にして能く罵り、人の上に立たんとして人を恨み又嫉み、自から誇り・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・この人民の政を捨てて政府の政にのみ心を労し、再三の失望にも懲りずして無益の談論に日を送る者は、余輩これを政談家といわずして、新奇に役談家の名を下すもまた不可なきが如く思うなり。 今の如く役談家の繁昌する時節において、国のために利害をはか・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ ひっきょうするに、数年来、世の教育家なる者が、学問を尊び俗世界を賤しむこと、両様ともにはなはだしきにすぎ、高尚至極なる学問の型の中に無理に凡俗を包羅して、新奇の形を鋳冶せんとして、かえってその凡俗を容るることはできずして、大切なる教育・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・一瞥心機を転じて身外の万物を忘れ、其旧を棄てゝ新惟れ謀るは人間大自在の法にして、我輩が飽くまでも再縁論を主張する由縁なり。殊に男女の再縁は世界中の普通なるに、独り我日本国に於ては之を男子に自由にして女子に窮窟にす。自から両者対等の権力に影響・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 試に今日女子の教育を視よ、都鄙一般に流行して、その流行の極、しきりに新奇を好み、山村水落に女子英語学校ありて、生徒の数、常に幾十人ありなどいえるは毎度伝聞するところにして、世の愚人はこれをもって教育の隆盛を卜することならんといえども、・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・ただに題目の新奇なるのみならず、その叙述の巧なる、実に『万葉』以後の手際なり。かの魚彦がいたずらに『万葉』の語句を模して『万葉』の精神を失えるに比すれば、曙覧が語句を摸せずしてかえって『万葉』の精神を伝えたる伎倆は同日に語るべきにあらず。さ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・かくのごとくして得来たるもの、必ず斬新奇警人を驚かすに足るものあり。俳句界においてこの人を求むるに蕪村一人あり。翻って芭蕉はいかんと見ればその俳句平易高雅、奇を衒せず、新を求めず、ことごとく自己が境涯の実歴ならざるはなし。二人は実に両極端を・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・考えれば考えるほどわかりにくくばかりなる心を新規蒔なおしに考え始めにゃならぬ。第二の精霊 マ、そのまま考えたいなら考えさせて置きなされ、わし等に損は行かぬことじゃ。ところでじゃ、あの精女の姿を思い出して見なされ、思い出すどころかとっくに・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ 新奇なこともない新聞を読み乍ら食事を終った処へ或書店から人が見えた。 髪をちょっと丸めたままの姿で、客間に行って見ると髪を長くのばし、張った肩に銘仙の羽織を着た青年が後を見せて立って居る。 初対面の挨拶をし、自分は「どうぞ・・・ 宮本百合子 「或日」
出典:青空文庫