・・・昔と今とは違うが、今だって信州と名古屋とか、東京と北京とかの間でこの手で謀られたなら、慾気満よくけまんまんの者は一服頂戴せぬとは限るまい。片鎧の金八はちょっとおもしろい談だ。 も一ツ古い談をしようか、これは明末の人の雑筆に出ているので、・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・飯綱は元来山の名で、信州の北部、長野の北方、戸隠山につづいている相当の高山である。この山には古代の微生物の残骸が土のようになって、戸隠山へ寄った方に存する処がある。天狗の麦飯だの、餓鬼の麦飯だのといって、この山のみではない諸処にある。浅間山・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・病気以来肉も落ち痩せ、ずっと以前には信州の山の上から上州下仁田まで日に二十里の道を歩いたこともある脛とは自分ながら思われなかった。「脛かじりと来たよ。」 次郎は弟のほうを見て笑った。「太郎さんを入れると、四人もいてかじるんだから・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・私はその翌る日、信州の温泉地に向って旅立ったが、先生はひとり天保館に居残り、傷養生のため三週間ほど湯治をなさった。持参の金子は、ほとんどその湯治代になってしまった模様であった。 以上は、先生の山椒魚事件の顛末であるが、こんなばかばかしい・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・「頭がいたくてね、暑気に負けたのだろう。信州のあの温泉、あのちかくには知ってる人もいるし、いつでもおいで、お米持参の心配はいらない、とその人が言っているんだ。二、三週間、静養して来たい。このままだと、僕は、気が狂いそうだ。とにかく、東京・・・ 太宰治 「おさん」
・・・二日あなたのお傍で遊ばせていただき、あなたに、あまり宿賃のお世話になるのも心苦しい事でしたので、私だけ先に、失礼して帰京いたしましたが、あなたは、あれから、信州のほうへお廻りになるとか、おっしゃって居られましたけれど、もうそろそろ涼しくなっ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・を読んでいたら、その中に、「或夏、信州の沓掛の温泉で、先生がいたずらに私の子供にお湯をぶっかけられた所、子供が泣き出した。先生は悲し相な顔をして、『俺のすることは皆こんなもんだ、親切を仇にとられる。』と言われた。」 という一章が在っ・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・この女は、信州にたった一人の肉親の弟があるとか言って、私の集めて来るお金はたいていその弟のところへ為替で送られるのでした。そうして、私の顔を見るとすぐ、金、金、金と言うのです。私はこの女に金を与えるために、強盗、殺人、何でももう、やってやろ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・田中寛二の、Man and Apes. 真宗在家勤行集。馬鹿と面罵するより他に仕様のなかった男、エリオットの、文学論集をわざと骨折って読み、伊東静雄の詩集、「わがひとに与ふる哀歌。」を保田与重郎が送ってくれ、わがひととは、私のことだときめて・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
去年の夏信州沓掛駅に近い湯川の上流に沿うた谷あいの星野温泉に前後二回合わせて二週間ばかりを全く日常生活の煩いから免れて閑静に暮らしたのが、健康にも精神にも目に見えてよい効果があったように思われるので、ことしの夏も奮発して出・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
出典:青空文庫