・・・その兎に似た愛らしい秀才の答案には、新進作家の名前が記されていたのである。われはこの有名な新進作家の狼狽を不憫に思いつつ、かのじじむさげな教授に意味ありげに一礼して、おのが答案を提出した。われはしずしずと試験場を、出るが早いかころげ落ちるよ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・むかしの同僚、高橋安二郎君が、このごろ病気がいけなくなり、太宰氏、ほか三人の中堅、新進の作家へ、本社編輯部の名をいつわり、とんでもない御手紙さしあげて居ることが最近、判明いたしました。高橋君は、たしか三十歳。おととしの秋、社員全部のピクニッ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・これを三度、四度ほど繰り返して、身心共に疲れてぐたりとなり、ああ酔った、と力無く呟いて帰途につくのである。国内に酒が決してそんなに極度に不足しているわけではないと思う。飲む人が此頃多くなったのではないかと私には考えられる。少し不足になったと・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・私がまだ弘前高等学校の文科生であって、しばしば東京の兄のところへ遊びに行ったが、この兄に連れられて喫茶店なるものにはいってみると、そこにはたいていキザに気取った色の白いやさ男がいて、兄は小声で、あれは新進作家の何の誰だ、と私に教え、私はなん・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・そのころの新進作家には、武者小路とか、志賀とか、それから谷崎潤一郎、菊池寛、芥川とか、たくさんございましたが、私は、その中では志賀直哉と菊池寛の短篇小説が好きで、そのことでもまた芹川さんに、思想が貧弱だとか何とか言われて笑われましたけれど、・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・ 私は、その夜、番頭の持って来た宿帳に、ある新進作家の名前を記入した。年齢二十八歳。職業は著述。 三 二三日ぶらぶらしているうちに、私にも、どうやら落ちつきが出て来た。ただ、名前を変えたぐらい、なんの罪があ・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・十日、庚戌、将軍家御疱瘡、頗る心神を悩ましめ給ふ、之に依つて近国の御家人等群参す。廿九日、己巳、雨降る、将軍家御平癒の間、御沐浴有り。(吾妻鏡 おたずねの鎌倉右大臣さまに就いて、それでは私の見たところ聞いたところ、つとめて虚飾を避け・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・三十歳を少し越えていた。新進作家だという事である。あまり聞かない名前であるが、とにかく、新進作家だそうである。勝治は、この有原を「先生」と呼んでいた。風間七郎から紹介されて相知ったのである。風間たちが有原を「先生」と呼んでいたので、勝治も真・・・ 太宰治 「花火」
・・・人を憎まず、さげすまず、白氏の所謂、残燈滅して又明らかの希望を以て武術の妙訣を感得仕るよう不断精進の所存に御座候えば、卿等わかき後輩も、老生のこのたびの浅慮の覆轍をいささか後輪の戒となし給い、いよいよ身心の練磨に努めて決して負け給うな。祈念・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・ 私は享楽のために、一本の注射打ちたることなし。心身ともにへたばって、なお、家の鞭の音を背後に聞き、ふるいたちて、強精ざい、すなわち用いて、愚妻よ、われ、どのような苦労の仕事し了せたか、おまえにはわからなかった。食わぬ、しし、食った・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
出典:青空文庫