・・・これまでの日本の映画音楽がよくなかったので、この二つには特に新進の作曲家たちの労作を得た。「所期の成果をおさめて居りますかどうかは、専門家の方々の御意見と海外の観衆の批判にまたなければならないところであります」そういう意味の言葉であった・・・ 宮本百合子 「実感への求め」
・・・た社会的根拠は、第一次五ヵ年計画の成果によってプロレタリア文学運動の分野にあっても、他の生産部門においてと同様、多数の新しい労働者、集団農場員幹部をもつようになったこと、労農文学通信員からおびただしい新進作家が輩出して来たこと、及び、スター・・・ 宮本百合子 「社会主義リアリズムの問題について」
・・・ 困難な新進の道 芥川賞を得た小田嶽夫・鶴田知也「二新人に訊く」という題で『三田新聞』に小田嶽夫氏の書いている文章をよみ、それと腹合わせに「創生記」を読み、私は鼻の奥のところに何ともいえぬきつい苦痛な酸性の刺戟・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・大正十四年『文芸戦線』が創刊されて、プロレタリア文学の理論は、一層広汎に活溌に展開され始めたが、芸術作品に何よりも先ずその社会的意味をさぐろうとするその態度に反撥した一部の新進作家によって「新感覚派」の運動が起されたのが大正十三年であった。・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 文学の世代的な性格に即して云えば、石川達三、丹羽文雄、高見順などという諸作家が新進として登場した当時、一時代前の新進は女に捨てられたり失恋したりして小説をかいて来ていたものだが、現代の新人は反対に女を足場にして登場した、ということが云・・・ 宮本百合子 「職業のふしぎ」
・・・に就いて書いて居られるが、あの中の「即ち十丈の竿のさきにのぼって手足を放って身心を放下する如き覚悟がなくては」という気持、あの「人を救うための求道ではない、真理の為めに真理を究める求道」であるという心境、それを私は求めたいと思います。私の目・・・ 宮本百合子 「女流作家として私は何を求むるか」
・・・ また、何人かの婦人作家をこめて送り出されてきた新進作家について、また、同人雑誌についてふれていないことは、この文章の大きい欠陥であるが、半年、読書を奪われていた私は、それらのすべてを読むことは力およばなかった。読者のおゆるしをこう次第・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ おなじように、前年度から活動をあらわしたインテリゲンチャの新進作家たちの、本年度の仕事は非常に期待されると同時に、個々別々にそれぞれの作家として発展させなければならないさまざまの矛盾や希望的なモメントを前年度において示しています。・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・自主的なこういう文化活動がどんな価値高いものであるかということは革命後十四年目の今日、ソヴェト文壇の新進作家達が殆ど皆、勤労大衆の中から出た労農通信員、それでなければコムソモール出の人々であるのを見ても判る。こういう人達の作品は題材に於いて・・・ 宮本百合子 「ソヴェト「劇場労働青年」」
・・・切迫した国際情勢のために、着のみ着のまま出発して来た人たちで、心身の疲労はいちじるしかったと、それも不幸の一つの原因としていわれているが、もしそれがそんなにはっきり誰の目にも映じているとしたら、新鮮だと断言出来ないような卵をきまった船の献立・・・ 宮本百合子 「龍田丸の中毒事件」
出典:青空文庫