・・・大家連が筆頭で小品風なものを、小品風な筆致で描いて、その範囲での貫録を示すかのように新進の画家たちとは別にまとめて一室に飾られてある。 私は絵として心を打たれるものを見出すことは出来なかったが、その絵の大小によって云わず語らずのうちに示・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
・・・一九一八年単行本『一つの芽生』が新進作家叢書の一部として新潮社から出た。「禰宜様宮田」人道主義的作家見習いにはなったが、当時の所謂文壇とはちっとも交渉がなかった。わずかに久米正雄、芥川龍之介などを知るだけで、自分・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・予は私に信ずる。今この陬邑に在って予を見るものは、必ずや怨えんたい不平の音の我口から出ぬを知るであろう。予は心身共に健で、この新年の如く、多少の閑情雅趣を占め得たことは、かつて書生たり留学生たりし時代より以後には、ほとんど無い。我学友はある・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・当時佐野博士はまだ若々しい颯爽とした新進建築学者であったし、木下杢太郎君はもっと若い青年であった。また伊東博士の雲岡の報告も、フランスのシャヴァンヌのそれとともに、雲岡についての知識の権威であった。ところで、その時に見せてもらった雲岡の写真・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫