・・・という『新潮』に連載されている作品です。文学好きというような人には、そうとう読まれていると思う。 この「わが胸の底のここには」という題は、藤村の「我が胸の底のここには言い難き秘事住めり」という文句で始まっている詩からとられた題だそうです・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・この画というのは、巨大な軍服に白手袋の魯国が仰向きに倒れんとして辛くも首と肱とで体を支えている腹の上に、身長五分ばかりの眉目の吊上った日本兵がのって銃剣をつきつけているイギリス漫画である。三十二年後の今日の漫画家は果してどのようなカトゥーン・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・ 格別、彼のために新調されたのでもない座布団の上にあぐらをくんで、うまがって、はったい粉をたべている重吉を、ひろ子は、飽かず眺める、という字のままのこころもちで見まもった。 今夜に限らず重吉と一緒に食卓に向っているとき、ひろ子の心に・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・『新潮』の杉山平助氏の論文、『文芸』の大宅氏の論文を熱心に読んだのは、恐らく私ひとりではなかったであろうと思われる。二人の筆者は、いわゆる転向の問題賛否それぞれの見解を今日の現象の上にとりあげ、内容の分類を行い、問題の見かたをわれわれに示し・・・ 宮本百合子 「冬を越す蕾」
・・・ 火野葦平氏をかこんでの『九州文学』は一つの活溌な息づきを示そうとしていると思えるが、文学のグループとして目ざしているところは、九州という今日の日本にあって意味深長な地方における現代生活の歴史を、その文学につくり出してゆくための土着の動・・・ 宮本百合子 「文学と地方性」
・・・『新潮』六月号に片岡鉄兵氏が「嫌な奴の登場」という題で小論をかいていられる。「近頃誰からも嫌われる、ふてぶてしい押の強い、ある共通したタイプの人物を小説に取扱うのが流行っている」しかし作者たちがそれを描く意図が常に明瞭でなく、そこに・・・ 宮本百合子 「文学のディフォーメイションに就て」
・・・という箇処に意味深長に横えられていることがわかる。つまり、亀井氏のように文化再生のためにネロが必要であり、狂信者・専制者が必要であるという風に解するか、小林氏のように、「或る古典的作品が示す及びがたい規範的性格とは取りもなおさず、僕等が眺め・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・ 九月号の『新潮』では「戦争と文学者」という項を設けて、この問題をとり上げている。作家が益々作家として生きんとする欲求はここにもそれぞれの作家の持味をもって表現されているのである。ダヌンツィオが飛行機で飛びまわってヒロイズムを発揮したよ・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
鴎外全集 第二巻 雲中語 を読む。 第一感じること。これは、明治三十年、新小説、文芸倶楽部などに発表された小説を、鴎外、露伴、緑雨、紅葉、思軒などがよって合評したものだ。現代の新潮合評のようなものか。然し三十年と云えば・・・ 宮本百合子 「無題(五)」
・・・を発表。二月明治座に上演。翌月更に大阪浪花座に於て続演。はじめて戯曲家としての存在を認めらる。「津村教授」と二つ合せて戯曲集「生命の冠」を新潮社より出版す。著者の作の書物にまとまりし最初のものなり。四月、「嬰児殺し」を『第一義』に発表。十月・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫