・・・ 子供の時分、わたくしは父の書斎や客間の床の間に、何如璋、葉松石、王漆園などいう清朝人の書幅の懸けられてあったことを記憶している。父は唐宋の詩文を好み、早くから支那人と文墨の交を訂めておられたのである。 何如璋は、明治十年頃から久し・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・「公のために新調したのだ」と説明がある上は安心して、わがものと心得て、差支なしと考えた故、御免を蒙って寝る。 寝心地はすこぶる嬉しかったが、上に掛ける二枚も、下へ敷く二枚も、ことごとく蒲団なので肩のあたりへ糺の森の風がひやりひやりと吹い・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・そうしてその布はこの間まで余の家に預かっていた娘の子を嫁づける時に新調してやった布団の表と同じものであった。この卓を前にして坐った先生は、襟も襟飾も着けてはいない。千筋の縮みの襯衣を着た上に、玉子色の薄い背広を一枚無造作にひっかけただけであ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・ 徳永直氏が十一月号『新潮』に「ルポルタアジュと記録文学」という評論を書いている。氏が、尾崎、榊山氏のルポルタージュに自己感傷の過度を批難しながら、林房雄氏のレトリックに触れないことは読者にとっては不思議のようである。「太陽のない街」を・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・或人は熱心に、新しい日本の黎明を真に自由な、民権の伸張された姿に発展させようと腐心し、封建的な藩閥官僚政府に向って、常に思想の一牙城たろうとした。 元来、新聞発行そのものが、民意反映の機関として、またその民意を進歩の方向に導くための理想・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・ようにとおもっている日本のすべての男女は、ドイツやフランスやその他のあらゆる国々の人民とおなじに、世界を動かす強国の権力者たちが、それぞれのそろばん勘定はしばらくおいて、人類のためという見地から聰明に慎重に行動して、世界平和の確保にたいして・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・そして『新潮』に発表した。「鏡餅」はこんどはじめてこの本に集録された。一九三〇年の暮日本プロレタリア作家同盟に参加し、「小祝の一家」あたりから、進歩的な作家としての作品が少しずつかかれるようになった。「乳房」は、プロレタリア文学の運動に参加・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・同性の友情が、常にその友の対手である異性に対して、友の感情の必然を理解しているという意味から慎重であり、節度をもっているのが自然であると同様に。 友情のそういう健全な敏感さは、日常の接触のおりおり、みだす力としてより整える力として発露し・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・女なら女のことを解決するかもしれない、というぼんやりした婦人たちの期待は、時期尚早のうちに強行された選挙準備のうちに、決して、慎重に政党の真意を計るところまで高められようもなかった。連記制は、この未熟さに拍車をかけて、三名選挙するのなら、そ・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・という意味深長な寸劇が行われた。この「ストップ」について、私たちの心には、計らずもつい四日前、朝日新聞紙上によんだ一つの記事が思いおこされた。それは「偽装の魅力『国民戦線』」という見出しの記事であった。「与党工作の舞台裏」で楢橋氏が首相を動・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
出典:青空文庫