・・・ 二月になって、もとのように神田の或中学校へ通ったが、一週間たたぬ中またわるくなって、今度は三月の末まで起きられなかった。博文館が帝国文庫という総称の下に江戸時代の稗史小説の復刻をなし始めたのはその頃からであろう。わたくしは病床で『真書・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・所は神田川である。旅館に落ち合って、あすこにしよう、ここにしようと評議をしている時に、君はしきりに食い物の話を持ち出した。中華亭とはどう書いたかねと余に聞いた事を覚えている。神田川では、満洲へ旅行した話やら、露西亜人に捕まって牢へぶち込まれ・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・其後熊本に居る時分、東京へ出て来た時、神田川へ飄亭と三人で行った事もあった。これはまだ正岡の足の立っていた時分だ。 正岡の食意地の張った話というのは、もうこれ位ほか思い出せぬ。あの駒込追分奥井の邸内に居った時分は、一軒別棟の家を借りてい・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・ 面白やどの橋からも秋の不二 三島神社に詣でて昔し千句の連歌ありしことなど思い出だせば有り難さ身に入みて神殿の前に跪きしばし祈念をぞこらしける。 ぬかづけばひよ鳥なくやどこでやら 三島の旅舎に入りて一夜の宿りを請えば・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・へ私は神田八丁堀二丁目五十五番地ふくべ屋呑助と申します、どうかお見知りおかれて御別懇に願います。まだ無礼な事申しちょるか。恐れ入りました。見受ける処がよほど酩酊のようじゃが内には女房も待っちょるだろうから早う帰ってはどじゃろうかい。有り難う・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・「そいならあの新田の山岸はんの事ったっしゃろ。 あそこの旦はんと父はんとは知合うてやもん、何でもない事ってっしゃろ。「あの先の主人の政吉はんとは知っとるが、この頃では、東京の学校を卒った二番目の息子が何でもさばいて、あの人はもう・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・前の行まで書いて、中井から電車にのって、神田へ出かけました。さし入れの本を買うためです。本当は今朝ごく早くおきて、裁判所へ行き出来たらお目にかかるつもりだったのですが、ゆうべは、夜中になってから熱中しはじめて、いつしか夜があけ、くたびれて動・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 私は奮起して字引と首引き、帳面に自分でわかったと思う翻訳をしてゆくのですが、女学校ではピータア大帝が船大工の習業をしたというような話をよんでいるのですから、どうもデルフィの神殿だとか、破風だとか、柱頭、フィディアス等々を克服するのは容・・・ 宮本百合子 「写真に添えて」
・・・ 檜の林にかこまれた大神官の淋しい香りの満ち満ちた神殿に白衣の身を伏せて神を拝すのはこの人でなければならない様にさえ私には思えた。 私は、五十前の神官に祈られる気はしないし又大きらいだと云う。 若い――少なくともまだ働ける年の男・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・巨人プロメシウスがオリンパスの神々の首長であるジュピターの神殿から火を盗んで来て、それを地上の人類にもたらした。人間は追々その火を使うことを学び、はじめて鉄を鍛え、それで耕具や武器をこしらえることを発見した。火と鉄とは人類の発展のための端緒・・・ 宮本百合子 「なぜ、それはそうであったか」
出典:青空文庫