・・・ってから、この景色のよさにうち込んで、ここに己の骨を埋めるのだと一人できめて御しまいなされ京からあととりの若君、――今の殿が許婚の姫君と、母君と弟君をつれて御出なされて間もなく先代は御さられ、今の殿が寝殿に御うつりになったと云うはなしでござ・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・この外にまだ三右衛門の妹で、小倉新田の城主小笠原備後守貞謙の家来原田某の妻になって、麻布日が窪の小笠原邸にいるのがあるが、それは間に合わないで、酒井邸には来なかった。 三右衛門は医師が余り物を言わぬが好いと云うのに構わず、女房子供にも、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・亀蔵は神田久右衛門町代地の仲間口入宿富士屋治三郎が入れた男で、二十歳になる。下請宿は若狭屋亀吉である。表小使亀蔵が部屋を改めて見れば、山本の外四人の金部屋役人に、それぞれ宛てた封書があって、中は皆白紙である。 察するに亀蔵は、早晩泊番の・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ ―――――――――――――― ついでながらこのころ神田明神は芝崎村といッた村にあッてその村は今の駿河台の東の降口の辺であッた。それゆえ二人の武士が九段から眺めてもすぐにその社の頭が見えた。もしこの時その位置がた・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・思い出しても二方(新田義宗と義興の御手並み、さぞな高氏づらも身戦いをしたろうぞ。あの石浜で追い詰められた時いとう見苦しくあッてじゃ」「ほほ御主、その時の軍に出なされたか。耳よりな……語りなされよ」「かたり申そうぞ。ただし物語に紛れて・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・その彼らはまた処女の神聖を神にささげると称して神殿を婚姻の床に代用する。性欲の神秘を神に帰するがゆえに、また神殿は娼婦の家ともなる。パウロはそれを自分の眼で見た。そうして「いたく心を痛め」た。桂の愛らしい緑や微風にそよぐプラタアネの若葉に取・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫