・・・私の親父も薬取りでした。そして、命がけで取って薬を売って歩いて、一生を貧乏で送りました。私も子供の時分から山々へ上がって、どこのがけにはなにがはえているとか、またどこの谷にはなんの草が、いつごろ花を咲いて、実を結ぶかということをよく知ってい・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・ 二郎さんは、ひったくるようにねこを受け取りながら、「やな親父だな、飼ってもらわなくていいよ。」といいました。 この権幕におそれて、きみ子さんは、逃げていってしまいました。「どうせ、こんなことだろうと思った。」と、二郎さんが・・・ 小川未明 「僕たちは愛するけれど」
・・・吉新の主の新造というのは、そんな悪でもなければ善人でもない平凡な商人で、わずかの間にそうして店をし出したのも、単に資本が充分なという点と、それに連れてよそよりは代物をよく値を安くしたからに過ぎぬので、親父は新五郎といって、今でもやっぱり佃島・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・「……そんなわけで、下肥えのかわりに置いて行かれたけど、その日の日の暮れにはもう、腫物の神さんの石切の下の百姓に預けられたいうさかい、親父も気のせわしい男やったが、こっちもこっちで、八月でお母んのお腹飛びだすぐらいやさかい、気の永い方や・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・じゃ、二人の子供が行けば六百円だ。親父は失業者だし、おふくろは赤ん坊の世話でかまけているとしても、二人の娘は前から駅で働いているから、二人で四百円ぐらい取るだろう。前の六百円と合わせて千円だ。普通十人家族で千二百円引き出せる勘定だが、千円と・・・ 織田作之助 「鬼」
・・・なるほどそんな風に考えたのか、火鉢の傍を離れて自分はせっせと復習をしている、母や妹たちのことを悲しく思いだしているところへ、親父は大胡座を掻いて女のお酌で酒を飲みながら猿面なぞと言って女と二人で声を立てて笑う、それが癪に障ったのはむりもない・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ ですが親父が帰って来て案じるといけませんから、あまり遠くへは出られませぬ。と光代は浮足。なに、お部屋からそこらはどこもかしこも見通しです。それに私もお付き申しているから、と言っても随分怪しいものですが、まあまあお気遣いのようなことは決・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・その薄い光で一ツの寝床に寝ている弁公の親父の頭がおぼろに見える。 文公の黙っているのを見て、「いつものばばアの宿へなんで行かねえ?」「文なしだ。」「三晩や四晩借りたってなんだ。」「ウンと借りができて、もう行けねえんだ。」・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・『入りそこねて変だから今夜はよそうよ、さっき親父さんが出直せッて言ったから、』とにやにや笑いながら言う。『アラお前さんだったの? 何だか妙なことを言ってたと思ったよ。まアお入りな、かまわないから。』『出直そうよ、ぐずぐずしてると・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・この金八が若い時の事で、親父にも仕込まれ、自分も心の励みの功を積んだので、大分に眼が利いて来て、自分ではもう内ないない、仲間の者にもヒケは取らない、立派な一人前の男になったつもりでいる。実際また何から何までに渡って、随分に目も届けば気も働い・・・ 幸田露伴 「骨董」
出典:青空文庫