・・・私はいそがしいので儀式だけですまそうとしたが、親身なため心持もすまず三日ばかりすっかりそのために時をつぶしました。緑郎が一番可哀想です。咲枝は太郎の乳がとまるといけないと思ってしっかりしていたから感心でした。 腹まきはやはり家にあってま・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 日本でこの問題を解決する一つのモメントは、芸術におけるもっと親身なヒューマニティとユーモアであろうと思います。音楽では、職場の音楽でベートーヴェンのシンフォニーの一部を送ってそれが非常によろこばれた例があります。日本では「大衆の娯楽性・・・ 宮本百合子 「質問へのお答え」
・・・随筆への傾きはこの時期更に一歩を進めて、少女の作文にさえ何かの新味と現実の姿とをみようとする状態であった。川端康成が、女子供の文章の真実を、その素朴な偽なさの故に評価しようとしたことも、大局からみればやはり文学の夥しい自己喪失を意味するもの・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ バチェラーの仕事が充分でなく名に実がそわないのを八重は、親身で遺憾に思って居る。〔欄外に〕 八重のものの考え方 一、アイヌの女! とさげすまれまい努力 一、高貴な人というものに対する原始的な崇敬 一、熱情的愛ウ・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・男の友達でも、幾人か親身のつき合いのひとがあり、それぞれ家庭の友だちとなっているのもうれしい。 二十五六歳ごろまで、私はどっちかというと友達のない淋しさをつよく感じながら生きていた。この十年ばかりは、友達の価値を全幅的に知りながらの生活・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・若い人にあり勝のことでなやんで居るのなら親身の私だけにおしえて下さってもいいでしょう。出来るだけの事なら力もそえましょうしネエ、どうぞ私にかくしたことをそう沢山持たないようにしてこの老(とった私に心配させないで下さい」と書いてあった。光・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・ひろ子にとって、ずばりと後家のがんばりを警告してくれるのが、良人である重吉よりほかにない実際だとすれば、本当に後家になった日本の数百万の妻たちには、誰が親身にそのことを云ってくれるのだろう。一生懸命に暮せばこそ身につきもするそういう女のがん・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・それから弥一右衛門の追腹、家督相続人権兵衛の向陽院での振舞い、それがもとになっての死刑、弥五兵衛以下一族の立籠りという順序に、阿部家がだんだん否運に傾いて来たので、又七郎は親身のものにも劣らぬ心痛をした。 ある日又七郎が女房に言いつけて・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・そうしてすべてを変化のゆえに、新味のゆえに尚んだ。こうして私は生の深秘をつかむと信じながら、常に核実を遠のいていたのであった。それゆえに私は真の勇気を怯懦と感じ、真の充溢を貧弱と感じた。それゆえに私は腐臭を帯びた人間を価値高きものとして尊敬・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫