・・・ 或自警団員の言葉 さあ、自警の部署に就こう。今夜は星も木木の梢に涼しい光を放っている。微風もそろそろ通い出したらしい。さあ、この籐の長椅子に寝ころび、この一本のマニラに火をつけ、夜もすがら気楽に警戒しよう。もし喉の渇い・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・身は、傅の大納言藤原道綱の子と生れて、天台座主慈恵大僧正の弟子となったが、三業も修せず、五戒も持した事はない。いや寧ろ「天が下のいろごのみ」と云う、Dandy の階級に属するような、生活さえもつづけている。が、不思議にも、そう云う生活のあい・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・ 一小間硝子を張って、小形の仏龕、塔のうつし、その祖師の像などを並べた下に、年紀はまだ若そうだが、額のぬけ上った、そして円顔で、眉の濃い、目の柔和な男が、道の向うさがりに大きな塵塚に対しつつ、口をへの字形に結んで泰然として、胡坐で細工盤に向・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・それどころか英米の資本主義国家の手先となって、稍もすれば物質によって他国の貧民に慈恵し、安っぽい愛と同情とを強いている。人生は愛以外にない。然しこの愛という言葉が如何に現在のキリスト教徒のために安っぽくされたか。反キリスト教同盟の宣言に「キ・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・ 暫らくして、両脚を踏ンばって、剣を引きぬくと、それは、くの字形に曲っていた。 その曲ったあとがなかなかもとの通りになおらなかった。殺人をした証拠のようにいつまでも残っていた。「これからだって、この剣にかかってやられる人間がいく・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・いろいろ物そうなので、町々では青年団なぞがそれぞれ自警団を作り、うろんくさいものがいりこむのをふせいだり、火の番をしたりして警戒しました。 郊外から見ると、二日の日なぞは一日中、大きなまっ赤な入道雲見たいなものが、市内の空に物すごく、お・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・いやに、老成ぶった口調だったので、みんな苦笑した。次兄も、れいのけッという怪しい笑声を発した。末弟は、ぶうっとふくれて、「僕は、そのおじいさんは、きっと大数学者じゃないか、と思うのです。きっと、そうだ。偉い数学者なんだ。もちろん博士さ。・・・ 太宰治 「愛と美について」
父がなくなったときは、長兄は大学を出たばかりの二十五歳、次兄は二十三歳、三男は二十歳、私が十四歳でありました。兄たちは、みんな優しく、そうして大人びていましたので、私は、父に死なれても、少しも心細く感じませんでした。長兄を・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・ 私の長兄も次兄も三兄もたいへん小説が好きで、暑中休暇に東京のそれぞれの学校から田舎の生家に帰って来る時、さまざまの新刊本を持参し、そうして夏の夜、何やら文学論みたいなものをたたかわしていた。 久保万、吉井勇、菊池寛、里見、谷崎、芥・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ こんどの帰郷がだんだん楽しいものに思われて来た。次兄の英治さんにも逢いたかったし、また姉たちにも逢いたかった。すべて、十年振りなのである。そうして私は、あの家を見たかった。私の生れて育った、あの家を見たかった。 私たちは七時の汽車・・・ 太宰治 「帰去来」
出典:青空文庫