・・・ 騒擾の際に敵味方相対し、その敵の中に謀臣ありて平和の説を唱え、たとい弐心を抱かざるも味方に利するところあれば、その時にはこれを奇貨として私にその人を厚遇すれども、干戈すでに収まりて戦勝の主領が社会の秩序を重んじ、新政府の基礎を固くして・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・今でも無い如く、其当時も自信というものが少しも無かった。然るに一方には正直という理想がある。芸術に対する尊敬心もある。この卑下、正直、芸術尊敬の三つのエレメントが抱和した結果はどうかと云うに、まあ、こんな事を考える様になったんだ――将来は知・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・ 実際自分がツルゲーネフを翻訳する時は、力めて其の詩想を忘れず、真に自分自身其の詩想に同化してやる心算であったのだが、どうも旨く成功しなかった。成功しなかったとは云え、標準は矢張り其処にあったのである。但だ、自分が其の間に種々と考えて見・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・先生は手紙をその上に置いて自身は馬乗りに椅子に掛けた。そして気の無さそうに往来を見卸した。 ちょうど午後三時である。Rue de la Faisanderie の大道は広々と目の下に見えていて、人通りは少い。ロンドンの上流社会の住んでい・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・態度はいかにも威厳があって、自信力に富んでいるらしい。顔は賢そうで、煎じ詰めたようで、やや疲労の気色を帯びている。そう云う態度や顔に適っているのはこの男の周囲で、隅から隅まで一定の様式によって、主人の趣味に合うように整頓してある。器具は特別・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・この古家の静かな壁の中から、己れ自身の生涯が浄められて流れ出るような心持がする。譬えば母とか恋人とかいうようないなくなってから年を経たものがまた帰って来たように、己の心の中に暖いような敬虔なような考が浮んで、己を少年の海に投げ入れる。子供の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・一たびこれに接して畏敬の念を生じたる春岳はこれを聘せんとして侍臣をして命を伝えしめしも曙覧は辞して応ぜざりき。文を売りて米の乏しきを歎き、意外の報酬を得て思わず打ち笑みたる彼は、ここに至って名利を見ること門前のくろの糞のごとくなりき。臨むに・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・殊にこの紀行を見ると毎日西瓜何銭という記事があるのを見てこの記者の西瓜好きなるに驚いたというよりもむしろ西瓜好きなる余自身は三尺の垂涎を禁ずる事が出来なかった。毎日西瓜の切売を食うような楽みは行脚的旅行の一大利得である。 夏時の旅行は余・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・ある朝ブドリたちが薪をつくっていましたら、にわかにぐらぐらっと地震がはじまりました。それからずうっと遠くでどーんという音がしました。 しばらくたつと日が変にくらくなり、こまかな灰がばさばさばさばさ降って来て、森はいちめんにまっ白になりま・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・けれどもそれは全く、作者に未知な絶えざる驚異に値する世界自身の発展であって、けっして畸形に捏ねあげられた煤色のユートピアではない。三 これらはけっして偽でも仮空でも窃盗でもない。多少の再度の内省と分析とはあっても、たしかにこのと・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
出典:青空文庫