・・・で暮してきて、父とも親しく半年といっしょに暮した憶えもなく過してきたようなわけで、ようようこれからいっしょに暮せる時が来た、せめて二三年は生きてもらって好きな酒だけでも飲ませたいと思った甲斐もなく、父自身にしても私たちの子供らの上に深い未練・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・そしてとにかく彼は私なぞとは比較にならないほど確乎とした、緊張した、自信のある気持で活きているのだということが、私を羨ましく思わせたのだ。 私はまた彼の後について、下宿に帰ってきた。そして晩飯の御馳走になった。私は主人からひどく叱られた・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・食っているくらいのことはたいしたことでもなし、またそれくらいのことは、兄のいかにも自信のあるらしい創作を書いても儲かりそうなものだと思ったのだ。「もっとも今も話したようなわけで、破産騒ぎまでしたあげくだから、取引店の方から帳簿まで監督さ・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・彼はだんだん自信を失ってゆく。もはや自分がある「高さ」にいるということにさえブルブル慄えずにはいられない。「落下」から常に自分を守ってくれていた爪がもはやないからである。彼はよたよたと歩く別の動物になってしまう。遂にそれさえしなくなる。絶望・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・そして僕の方でも窓を開けておいて、誰かの眼にいつも僕自身を曝らしているのがまたとても楽しいんです。こんなに酒を飲むにしても、どこか川っぷちのレストランみたいなところで、橋の上からだとか向こう岸からだとか見ている人があって飲んでいるのならどん・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・だから吉田の頭には地震とか火事とか一生に一度遭うか二度遭うかというようなものまでが真剣に写っているのだった。また吉田がこの状態を続けてゆくというのには絶えない努力感の緊張が必要であって、もしその綱渡りのような努力になにか不安の影が射せばたち・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・木村が好んで出さないのでもない、ただ彼自身の成り行きが、そうなるように私には思われます。樋口も同じ事で、木村もついに「あの時分」の人となってしまいました。 先夜鷹見の宅で、樋口の事を話した時、鷹見が突然、「樋口は何を勉強していたのか・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・輪廓といい、陰影といい、運筆といい、自分は確にこれまで自分の書いたものは勿論、志村が書いたものの中でこれに比ぶべき出来はないと自信して、これならば必ず志村に勝つ、いかに不公平な教員や生徒でも、今度こそ自分の実力に圧倒さるるだろうと、大勝利を・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 地震ぞと叫ぶ声室の一隅より起こるや江川と呼ぶ少年真っ先に闥を排して駆けいでぬ。壁の落つる音ものすごく玉突き場の方にて起これり。ためらいいし人々一斉に駆けいでたり。室に残りしは二郎とわれと岡村のみ、岡村はわが手を堅く握りて立ち二郎は卓の・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・とか、「汝の現在の態度について、汝自身に忠実であり得るように態度をとれ」とかいい得るのみである。すなわち人間のあらゆる積極的な意欲はことごとく、道徳の実質であって道徳律はその意欲そのものを褒貶するのでなく、その意欲間の普遍妥当なる関係をきめ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
出典:青空文庫