・・・矢切の斎藤と云えば、この界隈での旧家で、里見の崩れが二三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺も廻るような椎の樹が四五本重なり合って立って居る。村一番の忌森で村じゅうから羨ましがられ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・それだからこれからも時時は遊びにお出でよ。お母さんに叱られたら僕が咎を背負うから……人が何と云ったってよいじゃないか」 何というても児供だけに無茶なことをいう。無茶なことを云われて民子は心配やら嬉しいやら、嬉しいやら心配やら、心配と嬉し・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ったり、下駄屋や差配人をして生活を営んでる傍ら小遣取りに小説を書いていたのを知っていた、今日でこそ渠等の名は幕府の御老中より高く聞えてるが其生存中は袋物屋の旦那であった、下駄屋さんであった、差配の凸凹爺であった。社会の公民としては何等の位置・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
一 どこからともなく、爺と子供の二人の乞食が、ある北の方の港の町に入ってきました。 もう、ころは秋の末で、日にまし気候が寒くなって、太陽は南へと遠ざかって、照らす光が弱くなった時分であります。毎日のように渡り鳥は、ほばしらの・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・「変らないことがあるものですか、商売が商売ですし、それに手は足りないし、装も振りもかまっちゃいられないんですもの、爺穢くなるばかりですのさ」「まあ、それで爺穢いのなら、お仙なぞもなるべく爺穢くさせたいものでございますね……あの、お仙・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 側へ寄って見ると、そこには小屋掛もしなければ、日除もしてないで、唯野天の平地に親子らしいお爺さんと男の子が立っていて、それが大勢の見物に取り巻かれているのです。 私は前に大人が大勢立っているので、よく見えません。そこで、乳母の背中・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・は作者の十六歳の時の筆が祖父の大阪弁を写生している腕のたしかさはさすがであり、書きにくい大阪弁をあれだけ写し得たことによってこの作品が生かされたともいえるくらいであるが、あの大阪弁は茨木あたりの大阪弁である。「細雪」の大阪弁、「人間同志」の・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ ところが、その大阪的な御寮人さんの場合どうなったか、私は知る由もないが、しかし彼女が時時憤然たる顔をして戎橋の「月ヶ瀬」というしるこ屋にはいっているのを私は見受けるのである。「月ヶ瀬」へ彼女が現れるのは、大抵夫婦喧嘩をしたときに限るの・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・お前はしきりに首をひねっていたが、間もなく、川那子メジシンの広告から全快写真の姿が消え、代って歴史上の英雄豪傑をはじめ、現代の政治家、実業家、文士、著名の俳優、芸者等、凡ゆる階級の代表的人物や、代表的時事問題の誹毀讒謗的文章があらわれだした・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・Fの方は昨晩からずいぶん悄げていたが、行李もできて別れの晩飯にかかったが、いよいよとなると母や妹たちや祖父などに会えるという嬉しさからか、私とは反対に元気になった。「母さんとこで二三日も遊んだら、祖父さんの方へ行ってすぐ学校へ行くように・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
出典:青空文庫