・・・ 芥川氏は香以の辞世の句をわたくしに告げた。わたくしは魯文の記する所に従って、「絶筆、おのれにもあきての上か破芭蕉」の句を挙げて置いた。しかし真の辞世の句は「梅が香やちよつと出直す垣隣」だそうである。梅が香の句は灑脱の趣があって、この方・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・大儒息軒先生として天下に名を知られた仲平は、ともすれば時勢の旋渦中に巻き込まれようとしてわずかに免れていた。 飫肥藩では仲平を相談中という役にした。仲平は海防策を献じた。これは四十九のときである。五十四のとき藤田東湖と交わって、水戸景山・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・だろう、鬼髯が徒党を組んで左右へ立ち別かれ、眼の玉が金壺の内ぐるわに楯籠り、眉が八文字に陣を取り、唇が大土堤を厚く築いた体、それに身長が櫓の真似して、筋骨が暴馬から利足を取ッているあんばい、どうしても時世に恰好の人物、自然淘汰の網の目をば第・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・思想が古いとか古くないとかいうことはそもそも末であって、正しいか正しくないか、またその思想がどれほど人格的な力となっているか、その方が大切だ、とこう気づき始めると、儒教で育てられた父の思想が時勢の変遷といっこうに合っていないにかかわらず、根・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・若い連中にはどうしても時勢に流され、流行に感染する傾向があったが、漱石は決してそれに迎合しようとはせず、また流行するものに対して常に反感を持つというわけでもなく、自分の体験に即して、よいものはよいもの、よくないものはよくないものとはっきり自・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫