・・・ 内地ならば庚申塚か石地蔵でもあるはずの所に、真黒になった一丈もありそうな標示杭が斜めになって立っていた。そこまで来ると干魚をやく香がかすかに彼れの鼻をうったと思った。彼れははじめて立停った。痩馬も歩いた姿勢をそのままにのそりと動かなく・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・僕は人の手に作られた石の地蔵に、かしこくも自在の力ましますし、観世音に無量無辺の福徳ましまして、その功力測るべからずと信ずるのである。乃至一草一木の裡、あるいは鬼神力宿り、あるいは観音力宿る。必ずしも白蓮に観音立ち給い、必ずしも紫陽花に鬼神・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 奴は、旧来た黍がらの痩せた地蔵の姿して、ずらりと立並ぶ径を見返り、「もっと町の方へ引越して、軒へ瓦斯燈でも点けるだよ、兄哥もそれだから稼ぐんだ。」「いいえ、私ゃ、何も今のくらしにどうこうと不足をいうんじゃないんだわ。私は我慢を・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・「大かい魚ア石地蔵様に化けてはいねえか。」 と、石投魚はそのまま石投魚で野倒れているのを、見定めながらそう云った。 一人は石段を密と見上げて、「何も居ねえぞ。」「おお、居ねえ、居めえよ、お前。一つ劫かしておいて消えたずら・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・――その目の前で、 名工のひき刀が線を青く刻んだ、小さな雪の菩薩が一体、くるくると二度、三度、六地蔵のように廻る……濃い睫毛がチチと瞬いて、耳朶と、咽喉に、薄紅梅の血が潮した。 脚気は喘いで、白い舌を舐めずり、政治狂は、目が・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・へは行かず、すぐ坂を降りましたが、その降りて行く道は、灯明の灯が道から見える寺があったり、そしてその寺の白壁があったり、曲り角の間から生国魂神社の北門が見えたり、入口に地蔵を祠っている路地があったり、金灯籠を売る店があったり、稲荷を祠る時の・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 千日前自安寺の境内にある石地蔵のことを、つい近頃まで知らなかったのは、うかつだった。浄行大菩薩といい、境内の奥の洗心殿にはいっているのだが、霊験あらたかで、たとえば眼を病んでいる人はその地蔵の眼に水を掛け、たわしでごしごし洗うと眼病が・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 千日前へ行くたびに一度あの娘の地蔵へ詣ってやろうと思いながら、いつもうっかりと忘れてしまうのだった。 織田作之助 「神経」
・・・身が放浪に馴染み易く、毎夜の大阪の盛り場歩きもふと放浪者じみていたので、自然心斎橋筋や道頓堀界隈へ出掛けても、絢爛たる鈴蘭燈やシャンデリヤの灯や、華かなネオンの灯が眩しく輝いている表通りよりも、道端の地蔵の前に蝋燭や線香の火が揺れていたり、・・・ 織田作之助 「世相」
・・・僕はどうかするとあの仏殿の地蔵様の坐っている真下が頸を刎ねる場所で、そこで罪人がやられている光景が想像されたり、あの白槇の老木に浮ばれない罪人の人魂が燃えたりする幻覚に悩されたりするが、自分ながら神経がどうかしてる気がして怖くなる……」と、・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
出典:青空文庫