・・・或は交際の都合に由りて余儀なく此輩と同席することもあらんには、礼儀を乱さず温顔以て之に接して侮ることなきと同時に、窃に其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。要は唯其人の内部に立入ることを為さずして度外に捨置き、事情の許す限り之を近づけざるに・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・てやった、それを見て地蔵様がいわれるには、八十八羽の鴉は八十八人の姨の怨霊である、それが復讐に来たのであるから勝手に喰わせて置けば過去の罪が消えて未来の障りがなくなるのであった、それを埋めてやったのは慈悲なようであってかえって慈悲でないので・・・ 正岡子規 「犬」
・・・するとかげろうは手を合せて「お慈悲でございます。遺言のあいだ、ほんのしばらくお待ちなされて下されませ。」とねがいました。 蜘蛛もすこし哀れになって「よし早くやれ。」といってかげろうの足をつかんで待っていました。かげろうはほんとう・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・「先生、この児があんばいがわるくて死にそうでございますが先生お慈悲になおしてやってくださいまし。」「おれが医者などやれるもんか。」ゴーシュはすこしむっとして云いました。すると野ねずみのお母さんは下を向いてしばらくだまっていましたがま・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・その者を、彼女も婆やと呼んで、時には慈悲もかけてやれた。自分が決してどん底の者でないことが感じられていたのだが――沢やの婆が行ってしまったら、後に、誰か自分より老耄れた、自分より貧乏な、自分より孤独な者が残るだろうか? 自分が正直に働い・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・お前に食わさんのが慈悲じゃと思え」という兄について彼は部落を歩きまわり、ことごとに部落の荒廃を目撃する。盆の十四日が百姓平次郎に鉈をふるわせる厄日であり、室三次の命の綱である馬が軍隊に徴発され、その八十円を肥料屋と高利貸に役場で押えられた室・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・藤村は一家離散を敢てして、その作品を自費出版した。ここには、作家藤村の独特な生活力の粘りつよさが現れているばかりでなく、今日の私たちの胸をも引き緊める作家としての気魄が感じられる。だが、当時、何かの賞が、藤村のその精神と作品とに対して与えら・・・ 宮本百合子 「今日の文学と文学賞」
・・・当時の出版界と著作者との関係に安じられないものがあって、自費出版を思い立ったのもこの年であった」とかかれている。『戦争文学』という雑誌が発刊されたり、小波の「軍国女気質」泉鏡花「満洲道成寺」という珍妙な小説が出たり、そういう世間の空気のなか・・・ 宮本百合子 「作家と時代意識」
・・・殉死を許してやったのは慈悲であったかも知れない。こう思って忠利は多少の慰藉を得たような心持ちになった。 殉死を願って許された十八人は寺本八左衛門直次、大塚喜兵衛種次、内藤長十郎元続、太田小十郎正信、原田十次郎之直、宗像加兵衛景定、同吉太・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ その翌年の文化六年に、越前国丸岡の配所で、安永元年から三十七年間、人に手跡や剣術を教えて暮していた夫伊織が、「三月八日浚明院殿御追善の為、御慈悲の思召を以て、永の御預御免仰出され」て、江戸へ帰ることになった。それを聞いたるんは、喜んで・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫