・・・弾丸は三歩ほど前の地面に中って、弾かれて、今度は一つの窓に中った。窓が、がらがらと鳴って壊れたが、その音は女の耳には聞えなかった。どこか屋根の上に隠れて止まっていた一群の鳩が、驚いて飛び立って、唯さえ暗い中庭を、一刹那の間、一層暗くした。・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・無闇に字面を飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・無闇に字面を飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、・・・ 太宰治 「芸術ぎらい」
・・・今の世智辛い世の中に、こんな広大な「何の役にも立たない」地面の空白を見るだけでも心持がのびのびするのである。こんなところで天幕生活をしたらさぞ愉快であろうといったら、運転手が、しかし水が一滴もありませんという。金のある人は、寝台や台所のつい・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ 安は埋めた古井戸の上をば奇麗に地ならしをしたが、五月雨、夕立、二百十日と、大雨の降る時々地面が一尺二尺も凹むので、其の後は縄を引いて人の近かぬよう。私は殊更父母から厳しく云付けられた事を覚えて居る。今一つ残って居る古井戸はこれこそ私が・・・ 永井荷風 「狐」
・・・足の地面に触れる所は十尺を通過するうちにわずか一尺ぐらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。私の外発的という意味はこれでほぼ御了解になったろうと思います。 そういう外発的の開化が心理的にどんな影響を吾人に与うるかと云うとちょっと・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・モラル・バックボーンという何でもない英語を翻訳すると、徳義的脊髄という新奇でかつ趣のある字面が出来る。余の行為がこの有用な新熟語に価するかどうかは、先生の見識に任せて置くつもりである。(余自身はそれほど新らしい脊髄がなくても、不便宜なしに誰・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・しかしこの二字もまた一致と云う字面のうちに含まれております。一致と云うと我の意識と彼の意識があって、この二つのものが合して一となると云う意味でありますが、それは一致せぬ前に言うべき事で、すでに一致した以上は一もなく二もない訳でありますからし・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 丁度その時、辮髪の支那兵たちは、物悲しく憂鬱な姿をしながら、地面に趺坐して閑雅な支那の賭博をしていた。しがない日傭人の兵隊たちは、戦争よりも飢餓を恐れて、獣のように悲しんでいた。そして彼らの上官たちは、頭に羽毛のついた帽子を被り、陣営・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ が、彼は叫ぶまいとして、いきなり地面に口を押しつけた。土にはまるでそれが腐屍ででもあるように、臭気があるように感じた。彼はどうして、寄宿舎に帰ったか自分でも知らなかった。 彼は、口から頬へかけて泥だらけになって昏々と死のように・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
出典:青空文庫