・・・しかしそれらの物語がさかんに書写され、したがってさかんに受用されたのが、室町末期であったことは、認めてよいであろう。その限り我々は、これらの物語において応仁以後の時代の民衆の心情に接し得るのである。 さてそのつもりでこの時代の物語を読ん・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・この事実から眼をそむけて神と死後の生とを仮構するのは、現実をありのままに受容するに堪えない卑怯者の所作に過ぎぬ。――かくのごとき常識にとっては「神が死んだ」という宣告のごときはもはや何の刺激にもならない。神はもともと存在しなかったのである。・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・―― 人間が幼稚であり素朴であったゆえにこの美を受容することが困難であったと考えてはいけない。素朴な心は解釈において単純であり、省察において粗雑である。しかしその本能的な直覚においては内生の雑駁な統一の力の弱い文明人よりはるかに鋭いので・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・とはただ受容的に即自の対象を受け取ることではない。観ること自身がすでに対象に働き込むことである、という仕方においてのみ対象はあるのである。我は没せられつつ、しかも対象として己れを露出して来る。ここに著者の風物記の滋味が存すると思う。 も・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
・・・ 一般民衆が圧抑に対する反動をもって動くときには、ともすれば群集心理的の浮ついた気分になって、芸術を受用し得るような心の落ちつきを失うものである。しかし民衆の教養は、西ヨーロッパにおいては、必ずしも上流社会の教養よりも劣っているとは限ら・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫