・・・彼等は、自分等がそれによって相争うことの善悪も、必要・不必要も念頭にない一個の情意となってそのうちに没頭したのである。 けれども、人類の認識の範囲が拡大し、個人の意識が人生に向ってより多様複雑な綜合的人格として働きかけるようになって来る・・・ 宮本百合子 「深く静に各自の路を見出せ」
・・・尊王・攘夷という四字をいかにサツマの殿様、徳川、イギリス、フランスが手玉にとって、沢山の血を流させたことか。このところは本当にドラマティックです。〔一九三六年九月〕 宮本百合子 「「夜明け前」についての私信」
・・・白い縫い模様のある襟飾りを着けて、糊で固めた緑色のフワフワした上衣で骨太い体躯を包んでいるから、ちょうど、空に漂う風船へ頭と両手両足をつけたように見える。 これらの仲間の中には繩の一端へ牝牛または犢をつけて牽いてゆくものもある。牛のすぐ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・鼠色の長い着物式の上衣の胸から、刺繍をした白いバチストが見えている。ジュポンも同じ鼠色である。手にはウォランのついた、おもちゃのような蝙蝠傘を持っている。渡辺は無意識に微笑をよそおってソファから起きあがって、葉巻を灰皿に投げた。女は、附いて・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・白き上衣の、腋の下早や黄ばみたるを着たる人も、新しき浴衣着たる人よりは崇ばるるを見ぬ。 森鴎外 「みちの記」
・・・五十五のときペルリが浦賀に来たために、攘夷封港論をした。この年藩政が気に入らぬので辞職した。しかし相談中をやめられて、用人格というものになっただけで、勤め向きは前の通りであった。五十七のとき蝦夷開拓論をした。六十三のとき藩主に願って隠居した・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・そこここわがままに生えていた木もすでに緑の上衣を剥がれて、寒いか、風に慄えていると、旅帰りの椋鳥は慰め顔にも澄ましきッて囀ッている。ところへ大層急ぎ足で西の方から歩行て来るのはわずか二人の武者で、いずれも旅行の体だ。 一人は五十前後だろ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・個性の最上位を信じながら社会的勢力との妥協を全然捨離し得ない苦悶。愛の心と個性を重んずる心との争い。個性と愛とを大きくするための主我欲との苦闘。主我欲を征服し得ないために日々に起こる醜い煩い。主我欲の根強い力と、それに身を委せようとする衝動・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
出典:青空文庫