・・・したがって上下数千年に渉って抽象的の工夫を費やさねばならぬ。右から見ている人と左から眺めている人との関係を同じ平面にあつめて比較せねばならぬ。昔しの人の述作した精神と、今の人の支配を受くる潮流とを地図のように指し示さねばならぬ。要するに一人・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッと燃焼した刹那を捉えて、その熱烈純厚の気象を前後に長く引き延ばして、二六時中すべてあのごとくせよと命ずるのは事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・そこで私はすべての印象を反対に、磁石のあべこべの地位で眺め、上下四方前後左右の逆転した、第四次元の別の宇宙を見たのであった。つまり通俗の常識で解説すれば、私はいわゆる「狐に化かされた」のであった。 3 私の物語は此所・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・強い奴を腹ん中へ入れといて、上下から焙りゃこそ、あの位に酔っ払えるんじゃねえか」「うまくやってやがらあ、奴あ、明日は俺達より十倍も元気にならあ」「何でも構わねえ。たった一日俺もグッスリ眠りてえや」 彼等は足駄を履いて、木片に腰を・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・元来仕えるとは、君臣主従など言う上下の身分を殊にして、下等の者が上等の者に接する場合に用うる文字なり。左れば妻が夫に仕えるとあれば、其夫妻の関係は君臣主従に等しく、妻も亦是れ一種色替りの下女なりとの意味を丸出にしたるものゝ如し。我輩の断じて・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ これを方今、我が国内にある上下二流の党派という。一は改進の党なり、一は守旧の党なり。余輩ここに上下の字を用ゆといえども、敢てその人の品行を評してこれを上下するに非ず。改進家流にも賤しむべき者あらん、守旧家流にも貴ぶべき人物あらん。これ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・明治四年廃藩のころ、中津の旧官員と東京の慶応義塾と商議の上、旧知事の家禄を分ち旧藩の積金と合して洋学の資本となして、中津の旧城下に学校を立ててこれを市学校と名けたり。学校の規則もとより門閥貴賤を問わずと、表向の名に唱るのみならず事実にこの趣・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・兵庫の隣に神戸あれば、伊勢の旧城下に神戸あり。俗世界の習慣はとても雅学先生の意に適すべからず。貧民は俗世界の子なり。まず、骨なしの草書を覚えて廃学すればそれきりとあきらめ、都合よければ後に楷書の骨法をも学び、文字も俗字を先きにして雅言を後に・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・やさしい可愛らしい彼女の胸の中には天地をもとろかすような情火が常に炎々として燃えて居る。その火の勢が次第に強くなりて抑えきれぬために我が家まで焼くに至った。終には自分の身をも合せてその火中に投じた。世人は彼女を愚とも痴ともいうだろう。ある一・・・ 正岡子規 「恋」
・・・舟はいくつも上下して居るが、帆を張って遡って行く舟が殊に多い。その帆は木綿帆でも筵帆でも皆丈が非常に低い。海の舟の帆にくらべると丈が三分の一ばかりしかない。これは今まででもこうであったのであろうが今日始めて見たような心持がしてこの短い帆が甚・・・ 正岡子規 「車上の春光」
出典:青空文庫