・・・ 私は、すっかり上気せあがり、胸がどきどきしてよく眼が見えないようになった。母の心持が押しかぶさるようにこわく、苦しく、重く迫って来た。母が心の中で怒り、何故書けないのか、馬鹿さん、と思っているのはよくわかる。上手に書きたく、褒められた・・・ 宮本百合子 「雲母片」
・・・ 上気して耳朶を真赤にし「こめかみ」に蚯蚓の様な静脈を表わしてお金は、自分でも制御する事の出来ない様な勢で親子を攻撃した。「何ぼ私が酔狂だって、何時なおるか分らない様な病人の嫁さんに居てもらいたいんじゃありませんよ。若し、何と云・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・紅い帯を胸から巻き、派手な藤色に厚く白で菊を刺繍した半襟をこってり出したところ、章子の浅黒い上気せた顔立ちとぶつかって、醜怪な見ものであった。章子自身それを心得てうわてに笑殺しているのであろうが、ひろ子は皆が寄ってたかって飽きもせずそれをア・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ 主任が、ジロジロ私の上気し、輝いている顔を偸見ながら云った。「…………」 自分は黙ったまま、飽かずその記事をよむのであった。 六月二十八日。自分は八十二日間の検束から自由をとり戻した。・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 暮になったとき柔和な顔を忙しさで上気させている弟の家内の日頃の姿を目に浮かべ、私は何を三十三のお祝にやったらいいだろうと考えながら銀座を歩いた。 私が十九の時母は紅白の鱗形の襦袢の袖を着せた。三十三もやっぱり鱗なのかしら。私の三十・・・ 宮本百合子 「小鈴」
・・・私の道伴れは、本を手にとり、真中ごろを開き、表紙を見なおし、彼女の善良な、上気した、齦の出る笑を笑った。その顔を見て、私はもっと笑う。 ――でも……小ッちゃなものに成っちゃったねえ。 ――いいことよ、決してわるくなくてよ。 ――・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・さりとて上記の作家達が『文芸戦線』の文学運動に身を挺するには、その文学理論が納得されなかったこともあろうし、その納得されにくい気分の根本には都会の小市民生活が必然した都会主義も強く作用した。この「新感覚派」が『文芸戦線』の文学的傾向とは全く・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・そう云って顔を上気させたのであったが、ここに又作家としてのデュ・ガールのなかなか面白いところもあるのではないか。 第一巻、それから第二巻。そこまでデュ・ガールは足並確かにやって来ている。第三巻「美しき季節」では上巻だけの部分についてであ・・・ 宮本百合子 「人生の共感」
・・・ということだもんでございますから、本当にもう……。と上気した眼色が察しられる声の様子である。では、どうぞあしからず、御免下さいませ、とハンケチを握って汗ばんだ面ざしでボックスから出て来たひとを見て、私は何とも云えない気がした。電話さえやっと・・・ 宮本百合子 「新入生」
・・・ 労農通信員のマルーシャが、みんなにからかわれながら、額におちてくる金髪をふりあげふりあげ上気した顔をして小形写真機を覗いている。マルーシャは労働者新聞に自分達工場の婦人デーの模様を書き、何とかして、この罪のない、おどけたアガーシャ小母・・・ 宮本百合子 「ソヴェト同盟の三月八日」
出典:青空文庫