・・・何でも、まだ電気の燈いている時分に起き、厚い着物に蝶模様の羽織を着、前夜から揃えてあった鉛筆や定木、半紙の入った包みを持って出かけた。俥に乗り、前ばかりを見つめて大学の横から、順天堂の近くへ連れられて行ったのである。 小さな小学校の建物・・・ 宮本百合子 「入学試験前後」
・・・耳に鉛筆を挾み、長い髪をした主人が、或る日、両手に厚紙の巻いたのと、鉛筆、曲尺、定規とをもってゴーリキイの居場所である台処へやって来た。「ナイフ磨きがすんだら、これを描いて御覧」 手本の紙には、沢山の窓と優美な飾のついた二階建の家の・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ 男の先生と女の生徒との間には、同性間に見られない特殊な雰囲気の生ずることは誰でも知っていることで、その最も美しい例を私共は、聖フランシスと聖クララとの情宜、良寛の女弟子との交り等に示されています。マダム・キューリーの夫妻関係にも幾分師・・・ 宮本百合子 「惨めな無我夢中」
・・・しかしこれはそう容易に杓子定木で決してしまわれる問題ではない。ここに病人があって死に瀕して苦しんでいる。それを救う手段は全くない。そばからその苦しむのを見ている人はどう思うであろうか。たとい教えのある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら・・・ 森鴎外 「高瀬舟縁起」
・・・師弟の間は情誼が極めて濃厚であると思う。物集氏とかの二女史に対して薄いとかなんとか云うものがあるようだが、その二女史はどんな人か知らない。随って何とも云われない。 四、貨殖に汲汲たりとは真乎 漱石君の家を訪問したこともな・・・ 森鴎外 「夏目漱石論」
出典:青空文庫