・・・政治運動を行ったからであり、情死を行ったからであり、卑しい女を妻に迎えたからである。私は、仲間を裏切りそのうえ生きて居れるほどの恥知らずではなかった。私は、私を思って呉れていた有夫の女と情死を行った。女を拒むことができなかったからである。そ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・もちろん之は、ただちに上司にも報告するつもりである。ただいま、その者の名を呼びます。その者は、この五百人の会員全部に聞えるように、はっきりと、大きな声で返辞をしなさい。」 まことに奇特な人もあるものだ、その人は、いったい、どんな環境の人・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・そのあくる日の午後に情死を行った。芸者でもない、画家でもない、私の家に奉公していたまずしき育ちの女なのだ。 女は寝返りを打ったばかりに殺された。私は死に損ねた。七年たって、私は未だに生きている。・・・ 太宰治 「雌に就いて」
・・・日本では偉い作家が死んで、そのあとで上梓する全集へ、必ず書簡集なるものが一冊か二冊、添えられてある。書簡のほうが、作品よりずっと多量な全集さえ、あったような気がするけれど、そんなのには又、特殊な事情があったのかも知れない。 作家の、書簡・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・いっそ上梓しようか。どうしたなら親元からたくさんの金を送ってもらえるか、これを一冊の書物にして出版しようと考えたのである。けれどもこの出版に当ってはひとつのさしさわりがあることに気づいた。その書物を親元が購い熟読したなら、どういうことになる・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・『今戸心中』はその発表せられたころ、世の噂によると、京町二丁目の中米楼にあった情死を材料にしたものだという。しかし中米楼は重に茶屋受の客を迎えていたのに、『今戸心中』の叙事には引手茶屋のことが見えていない。その頃裏田圃が見えて、そして刎・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・後年に至って、わたくしは大田南畝がその子淑を伴い御薬園の梅花を見て聯句を作った文をよんだ時、小田原城址の落梅を見たこの日の事を思出して言知れぬ興味を覚えた。 父は病院に立戻ると間もなく、その日もまだ暮れかけぬ中、急いで東京に帰られた。わ・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・毫も留まる気色がない、しかのみならず向うの四ツ角に立ている巡査の方へ向けてどんどん馳けて行く、気が気でない、今日も巡査に叱られる事かと思いながらもやはり曲乗の姿勢をくずす訳に行かない、自転車は我に無理情死を逼る勢でむやみに人道の方へ猛進する・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・それからしてジャーナリスト等は、三角関係の恋愛や情死者等を揶揄してニイチェストと呼んだ。 何故にニイチェは、かくも甚だしく日本で理解されないだらうか。前にも既に書いた通り、その理由はニイチェが難解だからである。たしかメレヂコフスキイだか・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・或は藩中の士族よりも精密ならんと思い、聊かその望観のままを記したるのみ。一、本書はもっぱら中津旧藩士の情態を記したるものなれども、諸藩共に必ず大同小異に過ぎず。或は上士と下士との軋轢あらざれば、士族と平民との間に敵意ありて、いかなる旧藩・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
出典:青空文庫