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・・・――この温泉旅館の井菊屋と云うのが定宿を開けたのは、頭も、顔も、そのままの小一按摩の怨念であった。「あれえ。」 声は死んで、夫人は倒れた。 この声が聞えるのには間遠であった。最愛最惜の夫人の、消息の遅さを案じて、急心に草を攀じた・・・
泉鏡花
「怨霊借用」
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・・・私は、その翌年の春、大学を卒業する筈になっていたのだが、試験には一つも出席せず、卒業論文も提出せず、てんで卒業の見込みの無い事が、田舎の長兄に見破られ、神田の、兄の定宿に呼びつけられて、それこそ目の玉が飛び出る程に激しく叱られていたのである・・・
太宰治
「一燈」