・・・実に人間らしい情理が一つになったものだわ――そうでしょう?」 重吉の床のわきで羽織のほころびをつくろいながら、ひろ子はそんなことを熱心に話した。もう重吉は、つぎは俺がしてやると云わず、よみかけの書物を枕のわきに伏せながら、仰向きにねてい・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・高をくくって軽く動かそうとされると、猛然癇を立てるけれども、所謂情理をつくして折入ってこちらの面目をも立てた形で懇談されると、そこを押し切る気が挫ける律気で常識的な市民の俤が髣髴としている。五十年の生涯には沢山の口惜しい涙、傷けられた負けじ・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・ 一人は髪の二三寸伸びた頭を剥き出して、足には草履をはいている。今一人は木の皮で編んだ帽をかぶって、足には木履をはいている。どちらも痩せてみすぼらしい小男で、豊干のような大男ではない。 道翹が呼びかけたとき、頭を剥き出した方は振り向・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・ふつつかなかな文字で書いてはあるが、条理がよく整っていて、おとなでもこれだけの短文に、これだけの事がらを書くのは、容易であるまいと思われるほどである。おとなが書かせたのではあるまいかという念が、ふときざした。続いて、上を偽る横着物の所為では・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・ 喜助の話はよく条理が立っている。ほとんど条理が立ち過ぎていると言ってもいいくらいである。これは半年ほどの間、当時の事を幾たびも思い浮かべてみたのと、役場で問われ、町奉行所で調べられるそのたびごとに、注意に注意を加えてさらってみさせられ・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・私はこの間に、まだ見たこともない大きな石臼の廻るあいだから、豆が黄色な粉になって噴きこぼれて来るのや、透明な虫が、真白な瓢形の繭をいっぱい藁の枝に産み作ることや、夜になると牛に穿かす草履をせっせと人人が編むことなどを知った。また、藪の中の黄・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・校風の暗黒面にみなぎる悪思潮は門鑑制度、上草履制度の無視ではない、尊き心霊に対する肉的侮辱である。吾人は口に豪壮を語る輩が女々しく肉に降服せるを見て憐れまざるを得ない。吾人は社会に罪悪の絶えぬ以上校友の思想に欠点あるを怪しまぬ。ただ願わくば・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫