・・・に山道をずんずん上って、案内者の指揮の場所で、かすみを張って囮を揚げると、夜明け前、霧のしらじらに、向うの尾上を、ぱっとこちらの山の端へ渡る鶫の群れが、むらむらと来て、羽ばたきをして、かすみに掛かる。じわじわととって占めて、すぐに焚火で附け・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・なんだかじわじわ胸をそそるよ。」 私もふるさとのことを語りたくなった。「おれには、水の音よりも木がなつかしいな。日本の中部の山の奥の奥で生れたものだから。青葉の香はいいぞ。」「それあ、いいさ。みんな木をなつかしがっているよ。だか・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・そうして肉片を鋤の鉄板上に載せたのを火上にかざし、じわじわ焼いて食ったというのである。こういうあんまりうま過ぎるのはたいていうそに決まっていると言って皆で笑った。そのときの一説に「すき」は steak だろうというのがあった。日本人は子音の・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・輿をささえる長い棒がじわじわしなっていた。活動写真の看板に「電光彩戯」と書いてある。四月三日 電車で愚園に行く。雨に湿った園内は人影まれで静かである。立ち木の枝に鴉の巣がところどころのっかっている。裏のほうでゴロゴロと板の上を何かこ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ ただ、底抜けでない、筒抜けでは決してないという心強さが、じわじわと彼の心の核にまで滲みこみ、悠久な愛情が滾々と湧き出して、一杯になっていた苦しみを静かに押し流しながら、慎み深い魂全体に満ち溢れるのである。「何事もはあ真当なこった…・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・の胸を満たしたと同じに、今、芥川氏の心を揺り、私の魂にまで、そのじわじわと無限に打ち寄せる波動を及ぼしたのである。そして、今、図書館の大きな机の上で我を忘れようとして居る私は、その気分の薫り高さに息もつきかねる心持で居る。 その薫り、そ・・・ 宮本百合子 「無題」
・・・風も吹かず、日光も照らず、どんより薄ぐもりの空から、蒸暑い熱気がじわじわ迫って来る処に凝っと坐り、朝から晩まで同じ気持に捕えられていると、自分と云うものの肉体的の存在が疑わしいようになる――活きて、動いて、笑い、憤りしていた一人の女性として・・・ 宮本百合子 「文字のある紙片」
出典:青空文庫