・・・であろう。 第一の手紙 ――警察署長閣下、 先ず何よりも先に、閣下は私の正気だと云う事を御信じ下さい。これ私があらゆる神聖なものに誓って、保証致します。ですから、どうか私の精神に異常がないと云う事を、御信じ下さい・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・そこまで来ると干魚をやく香がかすかに彼れの鼻をうったと思った。彼れははじめて立停った。痩馬も歩いた姿勢をそのままにのそりと動かなくなった。鬣と尻尾だけが風に従ってなびいた。「何んていうだ農場は」 背丈けの図抜けて高い彼れは妻を見おろ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ぼくが大きな声を出すか出さないかに、おかあさんが寝巻きのままで飛び出して来た。「どうしたというの?」 とおかあさんはないしょ話のような小さな声で、ぼくの両肩をしっかりおさえてぼくに聞いた。「たいへんなの……」「たいへんなの、・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・ 眼ざして来た家から一町ほどの手前まで来た時、彼はふと自分の周囲にもやもやとからみつくような子供たちの群れから、すかんと静かな所に歩み出たように思って、あたりを見廻してみた。そこにも子供たちは男女を合わせて二十人くらいもいるにはいたのだ・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・「誰が、そんなことをいうもんですか。」「お浜ッ児にも内証だよ。」 と密と伸上ってまた縁側から納戸の母衣蚊帳を差覗く。「嬰児が、何を知ってさ。」「それでも夢に見て魘されら。」「ちょいと、そんなに恐怖い事なのかい。」と女・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・水に縁の切れた糸瓜が、物干の如露へ伸上るように身を起して、「――御連中ですか、お師匠……」 と言った。 薄手のお太鼓だけれども、今時珍らしい黒繻子豆絞りの帯が弛んで、一枚小袖もずるりとした、はだかった胸もとを、きちりと紫の結目で・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・「……干鯛かいらいし……ええと、蛸とくあのく鱈、三百三もんに買うて、鰤菩薩に参らする――ですか。とぼけていて、ちょっと愛嬌のあるものです。ほんの一番だけ、あつきあい下さいませんか。」 こう、つれに誘われて、それからの話である。「蛸と・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・お実家には親御様お両方ともお達者なり、姑御と申すはなし、小姑一人ございますか。旦那様は御存じでもございましょう。そうかといって御気分がお悪いでもなく、何が御不足で、尼になんぞなろうと思し召すのでございますと、お仲さんと二人両方から申しますと・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・「なんのいけないことがあるもんですか、あなたの心がけですよ。幾日も、幾日も、南をさしてゆけば、しぜんにいかれますよ。」と、かもめはいいました。「たとえ、そこへいっても、どうして食べていけるかわかりません。石を投げつけられたり、みんな・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・「こんなスカタンな、滅茶苦茶な戦争されて、一時間のちの命もわからんようなことにされながら、いくら兵隊さんにでも、へいと言って出せるもんですか」 そう言われると、二人は、「自分たちもそう思います」 と、うっかりそう答えてしまい・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
出典:青空文庫