・・・小石川の白山から、坂の上にたって、鶏声ケ窪の谷間をみわたすと、段々と低くなってゆく地勢とそこに高低をもって梢を見せている緑の樹木の工合がどこかセザンヌの風景めいた印象をあたえる。巣鴨から来た電車がゆっくり白山を下りて指ケ谷へ出る、その辺で左・・・ 宮本百合子 「藤棚」
・・・一九四二年七月、巣鴨拘置所で熱射病のため危篤に陥ってからのち、一年ほど言語障害と視力障害に苦しみました。視力障害はこんにちもつづいています。一九四五年秋以来、創作のほかに可能の最大な範囲で講演、各種の委員会、選挙闘争など活動をつづけ、一昨年・・・ 宮本百合子 「文学について」
・・・ 銀座の竹葉のわきの通りは、だいだいのような香がする。そして混血児を見るような感じがする。 根津の神社のわきの坂は、青っくさいようなモルヒネのような香がする。 巣鴨ステーションの近所はもちのこげたような香がする。そいであすこいら・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・それから苗字を深中と名告って、酒井家の下邸巣鴨の山番を勤めた。 この敵討のあった時、屋代太郎弘賢は七十八歳で、九郎右衛門、りよに賞美の歌を贈った。「又もあらじ魂祭るてふ折に逢ひて父兄の仇討ちしたぐひは」幸に太田七左衛門が死んでから十・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・君と私との忙しい生活は、互に訪問することを許さぬので、私は時々巣鴨三田線の電車の中で、君と語を交えるに過ぎなかった。 それから四五年の後に私は突然F君の訃音に接した。咽頭の癌腫のために急に亡くなったと云うことである。・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫