・・・また見える。次は浅虫だ。石を載せた屋根も見える。何て愉快だろう。 *青森の町は盛岡ぐらいだった。停車場の前にはバナナだの苹果だの売る人がたくさんいた。待合室は大きくてたくさんの人が顔を洗ったり物を食べたりしている。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・気の合った友達と二人三人ずつ向うの隙き次第出掛けるだろう。僕の通って来たのはベーリング海峡から太平洋を渡って北海道へかかったんだ。どうしてどうして途中のひどいこと前に高いとこをぐんぐんかけたどこじゃない、南の方から来てぶっつかるやつはあるし・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・けれども、この次の作品に期待される発展のために希望するところが全くない訳ではない。 溝口健二は、「愛怨峡」において非常に生活的な雰囲気に重点をおいている。従って、部分部分の雰囲気は画面に濃く、且つ豊富なのであるが、この作の総体を一貫して・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ 旅行では一人旅よりも、気の合った友達と行くのが好きです。展開されゆく道中の景色を楽しく語合うことも出来ますし、それに一人旅のような無意味な緊張を要しないで気安い旅が出来るように思います。煩いのない静かなところに旅行して暫く落ちついてみ・・・ 宮本百合子 「愛と平和を理想とする人間生活」
・・・母親の頭が唐紙の隙から出た。「おやまた何か戴いたんですか……済みませんねえ」 そして、細君に向って愛想笑いしつつ、「だから御覧なね、外の方じゃないからいいようなもんの、まるでおねだり申したみたいじゃないか」と一太を叱った。・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・たとえば、カニ網梳きという内職は、漁村からはなれた土地の女たちの稼ぎとなっているけれども、浜の漁師のおかみさんたちがそれをしているのは少くとも見たことがない。鰯の加工の仕事などは女が働いているが、そういう加工の仕事のないところの漁家の婦人は・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
・・・傍に、拡げたままの新聞を片手に、瘠せ、ひどく平たい顱頂に毛髪を礼儀正しく梳きつけた背広の男が佇んでいる。彼は、自分の玄関に止った二台の車を、あわてさわがず眺めていたが、荷物が下り、つづいて私が足を下すと、始めて、徐ろに挨拶した。「いらっ・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・大変着物に凝っている人たちが、昨今はそれらを又新しい工夫の条件にとりいれて違った形での数奇を示しているのや、それとは全く反対に、衣服は肉体をつつむ袋なりとでもいうように、何でもモンペの観念にひきつけてばかり考案されている単調さも、私たちの生・・・ 宮本百合子 「働くために」
・・・』 かれこれするうちに辻は次第に人が散って、日中の鐘が鳴ると、遠くから来た者はみな旅宿に入ってしまった。 シュールダンの大広間は中食の人々でいっぱいである。それと同様、広い庭先は種々雑多の車が入り乱れている――大八車、がたくり馬車、・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・この男は著作をするときも、子供が好きな遊びをするような心持になっている。それは苦しい処がないという意味ではない。どんな sport をしたって、障礙を凌ぐことはある。また芸術が笑談でないことを知らないのでもない。自分が手に持っている道具も、・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫