・・・いちじくの青い広葉はもろそうなものだが、これを見ていると、何となくしんみりと、気持ちのいいものだから、僕は芭蕉葉や青桐の葉と同様に好きなやつだ。しかもそれが僕の仕事をする座敷からすぐそばに見える。 それに、その葉かげから、隣りの料理屋の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・椿岳が小林姓を名乗ったのは名聞好きから士族の廃家の株を買って再興したので、小林城三と名乗って別戸してからも多くは淡島屋に起臥して依然主人として待遇されていたので、小林城三でもありまた淡島屋でもあったのだ。 尤もその頃は武家ですらが蓄妾を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 淡島氏の祖の服部喜兵衛は今の寒月から四代前で、本とは上総の長生郡の三ヶ谷の農家の子であった。次男に生れて新家を立てたが、若い中に妻に死なれたので幼ない児供を残して国を飛出した。性来頗る器用人で、影画の紙人形を切るのを売物として、鋏一挺・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・この教信は好事の癖ある風流人であったから、椿岳と意気投合して隔てぬ中の友となり、日夕往来して数寄の遊びを侶にした。その頃椿岳はモウ世間の名利を思切った顔をしていたが、油会所の手代時代の算盤気分がマダ抜けなかったと見えて、世間を驚かしてやろう・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・或る楼へ遊びに行ったら、正太夫という人が度々遊びに来る、今晩も来ていますというゆえ、その正太夫という人を是非見せてくれと頼んで、廊下鳶をして障子の隙から窃と覗いて見たら、デクデク肥った男が三枚も蒲団を重ねて木魚然と安座をかいて納まり返ってい・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、そのくせそのを好きなででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主人も吊り込まれて、熱心になって、女が六発打ってしまうと、直ぐに跡の六発の弾丸を込めて渡した。 夕方であったの・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
一 さよ子は毎日、晩方になりますと、二階の欄干によりかかって、外の景色をながめることが好きでありました。目のさめるような青葉に、風が当たって、海色をした空に星の光が見えてくると、遠く町の燈火が、乳色のもやのうちから、ちらちらとひ・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・だから、次のように言うのです。「まだお前方は働きようが足りないのだ。もっと働いて金を溜てお前方も資本家になるがいゝ」 窓の外で、軟かに、風にふるえつゝ新緑の木々の姿を見て、私は、いろ/\の考えに耽っていました。こゝに書いたゞけでは、・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
・・・無産派作家は、どうして、こうした数奇な生活が、特種の人達にのみ送られるかを更に深く考えなければならない。そして、筋に捕われてはならない。妥協してはならない。飽迄も良心のまゝに疑わなければならない。今、私達の文壇の弊は、この最も正直に、疑わな・・・ 小川未明 「何を作品に求むべきか」
・・・ところが、向うの船は積荷が一杯で、今度は載ッけて行くわけに行かねえからこの次まで待てと言うんで、俺たちはそのまま島へ残されたんだ。今になると残されてよかったので、あの時連れて行かれようものなら、浦塩かどこかの牢で今ごろはこッぴどい目に遭って・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫