・・・具の皮は買わねばならず、裏は天地で間に合っても、裲襠の色は変えねばならず、茶は切れる、時計は留る、小間物屋は朝から来る、朋輩は落籍のがある、内証では小児が死ぬ、書記の内へ水がつく、幇間がはな会をやる、相撲が近所で興行する、それ目録だわ、つか・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・お通は止むなく死力を出して、瞬時伝内とすまいしが、風にも堪えざるかよわき婦人の、憂にやせたる身をもって、いかで健腕に敵し得べき。 手もなく奥に引立てられて、そのままそこに押据えられつ。 たといいかなる手段にても到底この老夫をして我に・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ こんな話をしているうちに、跡の二人は食事を済ませ、家根屋の持って来るような梯子を伝って、二階へあがった。相撲取りのように腹のつき出た婆アやが来て、「菊ちゃん、もう済んだの?」と言って、お膳をかたづけた。 いかにも、もう吉弥では・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ いちじくと言われたので、僕はまた国府津の二階住いを冷かされたように胸に堪えた。「まだもう少し食べられないよ」と言って、僕は携えて来た土産を分けてやった。 妻の母は心配そうな顔をしているが、僕のことは何にも尋ねないで、孫どもが僕・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
震火で灰となった記念物の中に史蹟というのは仰山だが、焼けてしまって惜まれる小さな遺跡や建物がある。淡島寒月の向島の旧庵の如きその一つである。今ではその跡にバラック住いをして旧廬の再興を志ざしているが、再興されても先代の椿岳の手沢の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・一と口にいうと、地方からポッと出の山出し書生の下宿住い同様であって、原稿紙からインキの色までを気にする文人らしい趣味や気分を少しも持たなかった。文房粧飾というようなそんな問題には極めて無頓着であって、或る時そんな咄が出た時、「百万両も儲かっ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・おまえの枯れた年老った親は、よくこの野原の中で俺たちと相撲を取ったもんだ。なかなか勇敢に闘ったもんだ。この世界は広いけれど、ほんとうに俺たちの相手となるようなものは少ない。はじめから死んでいるも同然な街の建物や、人間などの造った家や、堤防や・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・下品、職人根性、町人魂、俗悪、エロ、発疹チブス、害毒、人間冒涜、軽佻浮薄などという忌まわしい言葉で罵倒されているのを見て、こんなに悪評を蒙っているのでは、とても原稿かせぎは及びもつくまい、世間も相手にすまい、十円の金を貸してくれる出版屋もあ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・では、郷を去るまでだ、俺は俺の頭を守ると、私は気障な言い方をして、寮を去り下宿住いをした。丁度満州事変が起った直後のことであった。 寮生はすべて丸刈りたるべしという規則は、私にとっては奇怪な規則であった。私は何故こんな規則が出来たのだろ・・・ 織田作之助 「髪」
・・・小柄だが、角力取りのようにでっぷり肥っているので、その汚なさが一層目立つ。濡雑巾が戎橋の上を歩いている感じだ。 しかし、うらぶれた感じはない。少し斜視がかった眼はぎょろりとして、すれちがう人をちらと見る視線は鋭い。朝っぱらから酒がはいっ・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
出典:青空文庫