・・・けれどもたまに明いていたと思うと、ちゃんともう約定済みになっているんですからね。」「僕の方じゃいけないですか? 毎日学校へ通うのに汽車へ乗るのさえかまわなければ。」「あなたの方じゃ少し遠すぎるんです。あの辺は借家もあるそうですね、家・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・「ある時石川郡市川村の青田へ丹頂の鶴群れ下れるよし、御鳥見役より御鷹部屋へ御注進になり、若年寄より直接言上に及びければ、上様には御満悦に思召され、翌朝卯の刻御供揃い相済み、市川村へ御成りあり。鷹には公儀より御拝領の富士司の大逸物を始め、・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・しかしやがて葡萄の収穫も済みますと、もう冬ごもりのしたくです。朝ごとに河面は霧が濃くなってうす寒くさえ思われる時節となりましたので、気の早い一人の燕がもう帰ろうと言いだすと、他のもそうだと言うのでそろそろ南に向かって旅立ちを始めました。・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・けれども、それは何、少いもの同志だから、萌黄縅の鎧はなくても、夜一夜、戸外を歩行いていたって、それで事は済みました。 内じゃ、年よりを抱えていましょう。夜が明けても、的はないのに、夜中一時二時までも、友達の許へ、苦い時の相談の手紙なんか・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・お聞済みになろうか。むずかしいの。」「御鎮守の姫様、おきき済みになりませぬと、目の前の仇を視ながら仕返しが出来んのでしゅ、出来んのでしゅが、わア、」 とたちまち声を上げて泣いたが、河童はすぐに泣くものか、知らず、駄々子がものねだりす・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・「ほんとに済みません。泣面などして。あの常さんて男、何といういやな人でしょう」 民子は襷掛け僕はシャツに肩を脱いで一心に採って三時間ばかりの間に七分通り片づけてしまった。もう跡はわけがないから弁当にしようということにして桐の蔭に戻る・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
実際は自分が何歳の時の事であったか、自分でそれを覚えて居たのではなかった。自分が四つの年の暮であったということは、後に母や姉から聞いての記憶であるらしい。 煤掃きも済み餅搗きも終えて、家の中も庭のまわりも広々と綺麗にな・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・「それは済みませんけれど」と言いながら、婆アさんが承知のしるしに僕の猪口に酒を酌いで、下りて行った。 三「お前の生れはどこ?」「東京」「東京はどこ?」「浅草」「浅草はどこ?」「あなたはしつッこ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・かにも急ぎのようでしたものですから……いえ、どッちにしてもほかのこととは違いますし、阿母さんの方だって心待ちにしておいでのことは分ってますから、先方が何とも言って来ないからって、それで打遣っておいちゃ済みませんわね。私もね、実はもうこないだ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 何ごとも算盤ずくめのお前には、そんなおれの親切が腑に落ちかねて、済みません、済みません、一生恩に着ますなんて、泪をこぼさんばかりにしながらも、内心は、こいつどこまで親切な奴だろうと、いくらか呆れていたろう。いや、それに違いあるまい。全・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫