・・・としてチャックの隣に住むことになりました。僕の家は小さい割にいかにも瀟洒とできあがっていました。もちろんこの国の文明は我々人間の国の文明――少なくとも日本の文明などとあまり大差はありません。往来に面した客間の隅には小さいピアノが一台あり、そ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・が、一度ロンドンへ帰った後、二三年ぶりに日本に住むことになった。しかし僕等は、――少くとも僕はいつかもうロマン主義を失っていた。もっともこの二三年は彼にも変化のない訣ではなかった。彼はある素人下宿の二階に大島の羽織や着物を着、手あぶりに手を・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・明日の授受が済むまでは、縦令永年見慣れて来た早田でも、事業のうえ、競争者の手先と思わなければならぬという意識が、父の胸にはわだかまっているのだ。いわば公私の区別とでもいうものをこれほど露骨にさらけ出して見せる父の気持ちを、彼はなぜか不快に思・・・ 有島武郎 「親子」
・・・その一人はやはりアッシジの貴族で、クララの家からは西北に当る、ヴィヤ・サン・パオロに住むモントルソリ家のパオロだった。夢の中にも、腰に置いた手の、指から肩に至るしなやかさが眼についた。クララの父親は期待をもった微笑を頬に浮べて、品よくひかえ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・お前たちの母上は程なくK海岸にささやかな貸別荘を借りて住む事になり、私たちは近所の旅館に宿を取って、そこから見舞いに通った。一時は病勢が非常に衰えたように見えた。お前たちと母上と私とは海岸の砂丘に行って日向ぼっこをして楽しく二三時間を過ごす・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ しかし今でもこの町に行く人があれば春でも夏でも秋でも冬でもちょうど日がくれて仕事が済む時、灯がついて夕炊のけむりが家々から立ち上る時、すべてのものが楽しく休むその時にお寺の高い塔の上から澄んだすずしい鐘の音が聞こえて鬼であれ魔であれ、・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・儀式は皆済む。もう刑の執行より外は残っていない。 死である。 この刹那には、この場にありあわしただけの人が皆同じ感じに支配せられている。どうして、この黒い上衣を着て、シルクハットを被った二十人の男が、この意識して、生きた目で、自分達・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
B おい、おれは今度また引越しをしたぜ。A そうか。君は来るたんび引越しの披露をして行くね。B それは僕には引越し位の外に何もわざわざ披露するような事件が無いからだ。A 葉書でも済むよ。B しかし今度のは葉書では済まん。・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・しめやかなる恋のたくさんありそうな都、詩人の住むべき都と思うて、予はかぎりなく喜んだのであった。 しかし札幌にまだ一つ足らないものがある、それはほかでもない。生命の続く限りの男らしい活動である。二週日にして予は札幌を去った。札幌を去って・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ が、いかに朽ちたればといって、立樹の洞でないものを、橋杭に鳥は棲むまい。馬の尾に巣くう鼠はありと聞けど。「どうも橋らしい」 もう一度、試みに踏み直して、橋の袂へ乗り返すと、跫音とともに、忽ち鳴き出す。 あまり爪・・・ 泉鏡花 「海の使者」
出典:青空文庫