・・・ 明治三十五年の夏の末頃逗子鎌倉へ遊びに行ったときのスケッチブックが今手許に残っている。いろいろないたずら書きの中に『明星』ばりの幼稚な感傷的な歌がいくつか並んでいる。こういう歌はもう二度と作れそうもない。当時二十五歳大学の三年生になっ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・その結果を図示してみるとそれらの角度の統計的分布は明瞭に典型的な誤差曲線を示している。三十五匹のうち九匹はだいたい東西に走る電線に対してその尻を南へ十度ひねって止まっている。この最大頻度の方向から左右へ各三十度の範囲内にあるものが十九匹であ・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・長いガラスの円筒の直径をカリパーのようなもので種々の点で測らせ、その結果を適当な尺度に図示して径の不同を目立たせて見るのもよい。これはつまらぬ事件のようであるが、実際自分の経験では存外生徒の実験的趣味を喚起する効果があるようである。あるいは・・・ 寺田寅彦 「物理学実験の教授について」
・・・奥の間から祭壇を持って来て床の中央へ三壇にすえ、神棚から御厨子を下ろし塵を清めて一番高い処へ安置し、御扉をあけて前へ神鏡を立てる。左右にはゆうを掛けた榊台一対。次の壇へ御洗米と塩とを純白な皿へ盛ったのが御焼物の鯛をはさんで正しく並べられる。・・・ 寺田寅彦 「祭」
・・・ 話は前へもどって、わたくしは七月の初東京の家に帰ったが、間もなく学校は例年の通り暑中休暇になるので、家の人たちと共に逗子の別荘に往き九月になって始めて学校へ出た。しかしこれまで幾年間同じ級にいた友達とは一緒になれず、一つ下の級の生徒に・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・第二には、両親は逗子とか箱根とかへ家中のものを連れて行くけれど、自分はその頃から文学とか音楽とかとにかく中学生の身としては監督者の眼を忍ばねばならぬ不正の娯楽に耽りたい必要から、留守番という体のいい名義の下に自ら辞退して夏三月をば両親の眼か・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・大声にいへるに驚きて、うちよりししじもの膝折ふせながらはひいでぬ、すこし広き所に入りてみれば壁落かかり障子はやぶれ畳はきれ雨もるばかりなれども、机に千文八百ふみうづたかくのせて人丸の御像などもあやしき厨子に入りてあり、おのれきものぬぎかへて・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・咲枝気絶してしまって居たところに、逗子に行って居た一馬がかえり、その手を見つけて、掘り出し救った。春江は歯医者にでも行って居た為に助かる。 ◎国男は一日の朝、小田原養生館を立ち大船迄来、鎌倉へ行こうとして居るとき、震災に会い歩いて鎌倉へ・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・安寿は守本尊の地蔵様を大切におし。厨子王はお父うさまの下さった護り刀を大切におし。どうぞ二人が離れぬように」安寿は姉娘、厨子王は弟の名である。 子供はただ「お母あさま、お母あさま」と呼ぶばかりである。 舟と舟とは次第に遠ざかる。後ろ・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫