・・・我々は未だ曾て現実に立脚しない仕事の成功した例を聞かない。例えば如何なる運動でも如何なる主義でも。 多くの人心を魅してその中に惹き入れるところのものは、その主張なり傾向なりが深く現実に根ざしているからである。信念の在る処、信仰の存する処・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・ まず成功だったといえるはずだのに、別れぎわの紀代子の命令的な調子にたたきつけられて、失敗だと思った。しかし、失敗ほどこの少年を奮いたたせるものはないのだ。翌日は非常な意気ごみで紀代子の帰りを待ち受けた。前日の軽はずみをいささか後悔して・・・ 織田作之助 「雨」
・・・と語りだした話も教師らしい生硬な語り方で、声もポソポソと不景気だった。「……壕舎ばかりの隣組が七軒、一軒当り二千円宛出し合うて牛を一頭……いやなに密殺して闇市へ売却するが肚でがしてね。ところが買って来たものの、屠殺の方法が判らんちゅう訳・・・ 織田作之助 「世相」
・・・そエロチシズム評論ではないか――などという揚足取りを、まさか僕はしたくありませんが、大体に於て、公式的にものを考え、公式的な文章を書く人の言葉づかいは、科学的か医学的か政治的か何だか知りませんが、随分生硬でどぎついような気がしますね。そうで・・・ 織田作之助 「猫と杓子について」
一 神田のある会社へと、それから日比谷の方の新聞社へ知人を訪ねて、明日の晩の笹川の長編小説出版記念会の会費を借りることを頼んだが、いずれも成功しなかった。私は少し落胆してとにかく笹川のところへ行って様子を聞いてみようと思って、郊・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・それは豪雨のために氾濫する虞れのある溪の水を防ぐためで、溪ぎわへ出る一つの出口がある切りで、その浴場に地下牢のような感じを与えるのに成功していた。 何年か前まではこの温泉もほんの茅葺屋根の吹き曝しの温泉で、桜の花も散り込んで来たし、溪の・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・もし私の直感が正鵠を射抜いていましたら、影がK君を奪ったのです。しかし私はその直感を固執するのでありません。私自身にとってもその直感は参考にしか過ぎないのです。ほんとうの死因、それは私にとっても五里霧中であります。 しかし私はその直感を・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
上田豊吉がその故郷を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。 その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途の成功を卜してその門出を祝した。『大いなる事業』ちょう言葉の宮の壮麗しき台を金色の霧の裡に描・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ 入り江に近づくにつれて川幅次第に広く、月は川づらにその清光をひたし、左右の堤は次第に遠ざかり、顧みれば川上はすでに靄にかくれて、舟はいつしか入り江にはいっているのである。 広々した湖のようなこの入り江を横ぎる舟は僕らの小舟ばかり。・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・ これは万葉にある歌だがいい歌だと思う。 こんな気持は恋愛から入った夫婦でなくては生じないだろう。 性交は夫婦でなくてもできるが、子どもを育てるということは人間のように愛が進化し、また子どもが一人前になるのに世話のやける境涯では・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
出典:青空文庫