・・・ きちょうめんに正座して、父は例の皮表紙の懐中手帳を取り出して、かねてからの不審の点を、からんだような言い振りで問いつめて行った。彼はこの場合、懐手をして二人の折衝を傍観する居心地の悪い立場にあった。その代わり、彼は生まれてはじめて、父・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ ざっと、かくの次第であった処――好事魔多しというではなけれど、右の溌猴は、心さわがしく、性急だから、人さきに会に出掛けて、ひとつ蛇の目を取巻くのに、度かさなるに従って、自然とおなじ顔が集るが、星座のこの分野に当っては、すなわち夜這星が・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・そして、じっと眼をつむっていると、カシオペヤ星座が暗がりに泛び上って来た。私は空を想った。降るような星空を想った。清浄な空気に渇えた。部屋のどこからも空気の洩れるところがないということが、ますます息苦しく胸をしめつけた。明けはなたれた窓にあ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・その間に横井は、彼が十年来続けてるという彼独特の静座法の実験をして見せたりした。横井は椅子に腰かけたまゝでその姿勢を執って、眼をつぶると、半分とも経たないうちに彼の上半身が奇怪な形に動き出し、額にはどろ/\汗が流れ出す。横井はそれを「精神統・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・壁にかかった星座早見表は午前三時が十月二十何日に目盛をあわせたまま埃をかぶっていた。夜更けて彼が便所へ通うと、小窓の外の屋根瓦には月光のような霜が置いている。それを見るときにだけ彼の心はほーっと明るむのだった。 固い寝床はそれを離れると・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 七日、静坐読書。 八日、おなじく。 九日、市中を散歩して此地には居るまじきはずの男に行き逢いたり。何とて父母を捨て流浪せりやと問えば、情婦のためなりと答う。帰後独坐感慨これを久うす。 十日、東京に帰らんと欲すること急なり。・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・その理は十二宮は太陽運行に基き、二十八宿は太陰の運行に基きしものなれば、陽の初なる東とその極なる南とを十二宮に、陰の初の西とその極の北とを二十八宿の星座に據らしめしものと見らるればなり。 されば堯典記載の天文が、今日の科學的進歩の結果と・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・見ると、玄関の式台には紋服を着た小坂吉之助氏が、扇子を膝に立てて厳然と正座していた。「いや。ちょっと。」私はわけのわからぬ言葉を発して、携帯の風呂敷包を下駄箱の上に置き、素早くほどいて紋附羽織を取出し、着て来た黒い羽織と着換えたところま・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ 十八日井原退蔵 木戸一郎様 一枚の葉書の始末に窮して、机の上に置きそれに向ってきちんと正坐してみても落ち附かず、その葉書を持って立ち上り、部屋の中をうろうろ歩き廻ってみても、いよいよ途方に暮れるばかりで、いっそ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ 中学一年の男の子は、正坐して、そうしてきちんと両手を膝に置き、実に行儀よく放送の開始を待っている。この子は、容貌も端麗で、しかも学校がよく出来る。そうして、お父さんを心から尊敬している。 放送開始。 父は平然と煙草を吸いはじめ・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
出典:青空文庫