・・・一年間のこの鳥籠の歴史はほぼこういう風の盛衰であったが、その後別に飼うて居った三、四羽のカナリヤをこの籠の中へ入れたので、忽ち病室の外が賑うて来た。大抵な鳥はこの追いこみ籠に入れると、今までよく鳴いて居たものも全く鳴かなくなるのが普通である・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・かえって、抑圧がひどかったとき、岩間にほとばしる清水のように暗示されていた正義の主張、自由への鋭い憧憬の閃きの方が、はるかに人間らしさでわれわれを撃つ力をこめていた、と。これは、ただ、かくされていた神聖さを明るみに出して見たときは、それも平・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ 五分苅の、陸軍大尉のふるてのような警視庁検閲係の清水が、上衣をぬぎ、ワイシャツにチョッキ姿でテーブルの右横にいる。自分は入口の側。やや離れてその両方を見較べられる位置に主任が腕組みをしている。「編輯会議にはあなたも出ていたそう・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・その上に 山静水音高 と書いた横ものがかかげられている。○馬が三頭いた。二頭になり、やがて一匹で自動車。 麦を煮る、わらを切る、草をかう○前の田を寺からかりて試作する。肥料の。「あの肥料をつかってこないよう出来たと見せよう・・・ 宮本百合子 「Sketches for details Shima」
・・・である不屈不撓な事業熱をもっている船長イーベン・ホーレイの多難な生涯と揚子江上の荒々しい回漕事業の盛衰とをこの小説の縦糸にしているのである。 中国の歴史がうつりかわるにつれて揚子江沿岸の軍閥が擡頭して、白人の事業を破滅に導き、それがやが・・・ 宮本百合子 「「揚子江」」
・・・ 亀蔵は二十二日に高野領清水村の又兵衛と云うものの家に泊って、翌二十三日も雨が降ったので滞留した。そして二十四日に高野山に登った。山で逢ったものもある。二十六日の夕方には、下山して橋本にいたのを人が見た。それからは行方不明になっている。・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・沼の畔から右に折れて登ると、そこに岩の隙間から清水の湧く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を右に見つつ、うねった道を登って行くのである。 ちょうど岩の面に朝日が一面にさしている。安寿は畳なり合った岩の、風化した間に根をおろして、小さい菫の・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・日本絵の具はそれに反して、あくまでもサラサラと、清水が流れ走るような淡白さを筆触の特徴とするように見える。また色彩の上から言っても、油絵の具は色調や濃淡の変化をきわめて複雑に自由に駆使し得るが、日本絵の具は混濁を脱れるためにある程度の単純化・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・は石清水物語と呼ばれている部分で、信玄や老臣たちの語録である。これは古老の言い伝えによったものらしいが、非常におもしろい。は軍法の巻で、何か古い記録を用いているであろう。は公事の巻で、裁判の話を集録しているが、文章はに似ている。は将来軍記で・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫