・・・中巻は最早日本人を離れて、西洋文を取って来た。つまり西洋文を輸入しようという考えからで、先ずドストエフスキー、ガンチャロフ等を学び、主にドストエフスキーの書方に傾いた。それから下巻になると、矢張り多少はそれ等の人々の影響もあるが、一番多く真・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
○十年ほど前に僕は日本画崇拝者で西洋画排斥者であった。その頃為山君と邦画洋画優劣論をやったが僕はなかなか負けたつもりではなかった。最後に為山君が日本画の丸い波は海の波でないという事を説明し、次に日本画の横顔と西洋画の横顔とを並べ画いてそ・・・ 正岡子規 「画」
・・・ その杉の列には、東京街道ロシヤ街道それから西洋街道というようにずんずん名前がついて行きました。 虔十もよろこんで杉のこっちにかくれながら口を大きくあいてはあはあ笑いました。 それからはもう毎日毎日子供らが集まりました。 た・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・ 飾ったものなんかさっさと仕舞い込んで仕舞う。 気晴しにマンドリンを弾く。 左の第二指に出来た水ぶくれが痛んで音を出し辛い。 すぐやめて仕舞う。 西洋葵に水をやって、コスモスの咲き切ったのを少し切る。 花弁のかげに青・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・この頃はどこもかしこも修羅場で、多賀ちゃんの手紙に「静かな陽なたでゆっくり静養していらっしゃるでしょう」とあって、大笑いになりました。こうして悪い条件に速力を鈍らされながら荷物をひっ張るようにいくらかずつよくなってゆくのが実際なのでしょう。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・医師は極力静養を求める。ナイチンゲールにとって、どうして今休養などをとっていられよう。今こそ好機が到来したのだ。鉄は熱い中にこそ打つべきだ。長椅子の上であえぎながら、彼女は報告を読み、手紙を口述し、心悸亢進の合間には熱病的な冗談をとばした。・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・アメリカからの帰途イタリーのカプリ島により当分そこで静養することにし、一九一三年ロマノフ王家三百年記念の大赦によってロシアにかえるまで八年間カプリに止った。 ところで、非常に一般化されている「どん底」に一言ふれるならば、この作は傑作であ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・中にも西洋の誰やらの脚本をある劇場で興行するのに、木村の訳本を使った時にこのお極りの悪口が書いてあった。それがどんな脚本かと云うと、censure の可笑しい程厳しいウィインやベルリンで、書籍としての発行を許しているばかりではない、舞台での・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・一日の混乱は半カ月の静養を破壊する。患者たちの体温表は狂い出した。 しかし、この肺臓と心臓との戦いはまだ続いた。既に金網をもって防戦されたことを知った心臓は、風上から麦藁を燻べて肺臓めがけて吹き流した。煙は道徳に従うよりも、風に従う。花・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・日本絵の具をもって西洋画のごとき写実ができないはずはない――この事実を氏は実証しようとしているかに見える。小林氏が写生を試みて写実にならなかったのとは著しい対照である。また小林氏ができ得るだけ静かな淡い調子を出しているに反して、この画はでき・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫