・・・然るに、時運の然らしむるところ、人民、字を知るとともに大いに政治の思想を喚起して、世事ようやく繁多なるに際し、政治家の一挙一動のために、併せて天下の学問を左右進退せんとするの勢なきに非ず。実に国のために歎ずるに堪えずとて、福沢先生一篇の論文・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ かくの如くして多年の成跡を見るに、幾百の生徒中、時にあるいは不行状の者なきに非ずといえども、他の公私諸学校の生徒に比して、我が慶応義塾の生徒は徳義の薄き者に非ず、否なその品行の方正謹直にして、世事に政談にもっとも着実の名を博し、塾中、・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・今天下の士君子、もっぱら世事に鞅掌し、干城の業を事とするも、あるいは止むをえざるに出ずるといえども、おのずからその所長所好なからざるをえず。ゆえにかの士君子も、天与の自由を得て、その素志を施すものというべし。また我が党の士、幽窓の下におりて・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・元禄年間の士人を再生せしめて、これに維新以来の実況を語り、また、今の世事の成行を目撃せしめたらば、必ず大いに驚駭して、人倫の道も断絶したる暗黒世界なりとて、痛心することならんといえども、いかんせん、この世態の変は、十五年以来、我が日本人が教・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・らば人事の要用、臨時の便利において如何というに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人に玩弄せしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事繁多なれば一時夫婦の離れ居ることもあ・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・もっともこの亭主は上さんよりも年は二つ三つ若くて、上さんよりも奇麗で、上さんよりもお世辞が善い。それで夫婦中は非常に善く調和して居るから不思議だ。今その上さんが熊手持って忙しそうに帰って行くのは内に居る子供が酉の市のお土産でも待って居るのか・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・二疋はやっと手をはなして、しきりに両方からお世辞を云いました。「君、あんまり力を落さない方がいいよ。靴なんかもうあったってないったって、お嫁さんは来るんだから。」「もう時間だろう。帰ろう。帰って待ってようか。ね。君。」 カン蛙は・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・ よりどこのない空世辞を並べる人とは違う、 先代からの人を見て私にはよう分っとる。「そいでもね、時には嘘も方便ですよ。ね、世の中を正直一方に通したら十日立たないうちに乞食になってしまう時なんですよ。貴方みたいな人の好い事ばかり云・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・芭蕉を、彼の生きた時代の世相との関係でみれば、世俗的には負けていて、世事万端の流転を自然とともに眺める哲学の内容も、仏教渡来後の日本の知識人として当時に於いてもありふれたものであった。哲学として或は人生観のつづまりとしては、西鶴も近松門左衛・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・経済上の知識ということも福沢諭吉の論じている範囲では、あまりに婦人が深窓に育ち世事にうとく、次第に複雑化して来る近代社会の経済関係の中で、常に騙され損失を蒙る可哀そうな立場にあることを見て、婦人もやはり社会の経済に関する理解を持たなければ、・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫